バッハの教会カンタータ >カンタータ第138番

カンタータ第138番《汝なにゆえにうなだるるや、わが心よ》

バッハの教会カンタータ(46) BWV 138

第138番《汝なにゆえにうなだるるや、わが心よ》
Warum betrübst du dich, mein Herz
1723年 9月5日 三位一体節後第15日曜日

このカンタータは、これまで多く見られたパターン(合唱曲で始まり、コラールで終わる。間にアリアと レシタティーヴォが各2曲ぐらい)を離れ、コラールを中心にして劇的にレシタ ティーヴォがからんでいくという新しい形式をとっています。いわゆる「コラールカ ンタータ」の先駆をなすものとされています。(年代順に聞いているもので、先 のことはよく分かりませんが。)これが、今までの合唱は合唱、レシタティーヴォはレシ タティーヴォといった形式とはひと味違った効果を出しているのは確かです。個人的 心情とゆるぎない信仰の世界の相互浸透という動的な音楽、そしてその発展が、あふ れるような思いのアリアに帰結するという、きわめてダイナミックな構造をとってい るのです。

▼具体的には、第1曲と第3曲はコラールとレシタティーヴォの対話、これは聖書の 堅い信仰の世界と不安な個人を表します。この対話を通じて、真の信仰の立場に立つ ことのできた喜びの世界が第5曲のアリア、短い間奏的レシタティーヴォを経て、第 7曲のコラールで全会衆の信仰の喜びを確認して終わるという構造です。

第1曲、コラールとレシタティーヴォ。悲しみをたたえた弦楽のリトルネッロに始まり、オーボ エ・ダモーレがコラール旋律を先取りする。このオーボエが、実に感情豊か。その間 にも、心の襞をくすぐる不協和音が効果的に織り込まれていきます。次にテノール (ソロまたは合唱)がコラールの歌詞をリトルネッロ主題で歌い、それを先導として コラール合唱が導かれる。これが歌詞の1行毎にくりかえされ、思わず涙腺がゆるむところに、 今度はアルトのレシタティーヴォが苦悩に打ちひしがれた魂を吐露 します。レシタティーヴォの1行毎に、3度または6度平行で入る2本のオーボエ・ ダモーレが印象的。再びコラールによる信仰の立場で締めくくられます。

第2曲のレシタティーヴォではさらに悩みが深まります。(ぶどう酒を)「注 ぐ」、「苦い」「涙」「ため息」などの単語に応じた旋律や減和音などの音楽的形象 が鮮やかです。切れ目なしに第3曲はよりストレートなコラールとレシタティーヴォ (S)、今度は対位法的に処理されたコラールとレシタティーヴォ(A)、再度コラールで 終わります。

第4曲レシタティーヴォ(T)はついに確固とした信仰の立場に立ち得た魂が、神と共 にある慰めと喜びを語ります。"Freuden"の実に力強いメリスマの上昇も印象に残り ます。第3曲までの鬱屈した感じから一気に霧が晴れたようなさわやかさに変化する ところは、興味深いものです。それまではロ短調だったのがこの曲でト長調さらにニ 長調と変化し、第5曲のアリアに切れ目なくなだれ込みます。 このアリアのこみ上げるような喜び、 伸びやかさ。ここは下手な分析は忘れて、共に音楽を歌うのみです。バッハの全ての アリアの中でも最も喜ばしく生気に満ちた音楽の一つと言えるでしょう。

第6曲のレシタティーヴォは、短く、歌詞も今まで述べたことの再確認という程度の ものですが、ためしに第5曲と第7曲を連続で聞くと、ちょっと繰り返しのようでう るさいのです。やはり、短いレシタティーヴォといえども、欠かせない役割があるの だと分かります。

最後のコラール。舞曲風のリトルネッロ主題と、確信に満ちたコラールの調和は、有 名なBWV 147に勝るとも劣らないものと思います。20分程度の中規模の作品です が、堂々たる締めくくりで、大曲のような風格があります。1723年5月末以来、トマ ス・カントルとして十数曲のカンタータを生み出してきたバッハが、ここで新しい形 式に挑み、見事な成果を上げた一つの画期となる作品だと思います。

▼演奏は、以下のように、やや豊富の部類です。

Ramin       	1953 EDEL
Rilling     	1978 Hanssler
Harnoncourt 	1983 TELDEC
Herreweghe  	1998 Harmonia Mundi
Koopman     	1998 ERATO
Suzuki      	1998 BIS
Leusink     	1999 Brilliant

すなわち、5つの全集版の他に、ギュンター・ラミンの歴史的演奏と、ヘレヴェッヘ の流麗で美しい演奏があります。そして、この二つの演奏を両極として、他の演奏は その間に位置するという感じです。最初、ヘレヴェッヘの演奏を聞いたとき、その澄 み切った美しさに打たれました。一方、リリングの演奏はその流麗さには欠けます が、もっとぎっしりメッセージの詰まっている感じで、感情移入のしやすい演奏で す。上記の文章は、ひとえにリリングの演奏に捧げたもの で、ヘレヴェッヘの演奏なら、少し違った書き方となるでしょう。特に、アリアでは 上記のようなこみ上げるような喜びと言うより、もっとおさえたものになっていま す。最後のコラールもあっさりしています。しかし、第1曲、第3曲の端正な形式感 は、曲本来の姿を見せてくれる気もして、リリングと違った良さを感じます。

ラミンの演奏は、テンポ、唱法など、時代が違う感じですが、ドイツ語の迫力はすご いものです。怒濤のようにうねる合唱の迫力は、癖になりそう。

しかし、いずれにせよこのカンタータについてはリリングが最 高という結論は変わりません。やはり、音楽にとって生きた感動以上に重要なものは ありません。

(2001年9月24日)

↑ページの先頭 →履歴へ →教会カンタータ表紙へ

2002-12-21更新
©2001-2002 by 葛の葉