BWV150「主よ、われ汝を仰ぎ望む」
BWV143「わが魂よ、主を頌め讃えよ」
バッハの教会カンタータ(5) BWV150 & 143 (その他の初期カンタータ)
February 06, 2000
カンタータ第150番《主よ、われ汝を仰ぎ望む》BWV150
Nach dir, Herr, verlanget mich
1706? 用途不明
カンタータ第143番《わが魂よ、主を頌め讃えよ》BWV143
Lobe den Herrn, meine Seele
1708-1714? 新年
BWV150とBWV143は、いずれもバッハ死後の筆写譜によって残されているもので、
確実な作曲年代や作曲目的は不明です。特に、BWV143は偽作の疑いが濃いとされ
ています。いずれにせよ、ミュールハウゼン時代までに作曲された可能性がある
曲は、これですべてと言うことになります。
▼BWV143はホルンが大活躍する曲です。バッハがホルンを活躍させた早い例とし
ては、1712or1713年に作曲された「狩のカンタータ」が有名で、この曲も近い時
期の作品ではないかという説があります(アルノンクール/レオンハルト版全集
の解説)。偽作の疑いについては、確かにそういう感じはします。ホルンとティ
ンパニが派手に鳴りまくるのは良いのですが、あまりにも単調なくり返しが多
く、正直言って「ほんまにこれがバッハか?」と思うところがあります。しか
し、それを言うなら、BWV71(1708年)もあまり感心した出来ではなかったし、こ
の作品がそれより未熟とも思えません。ということで、一応1708年以後の作品と
考えておきます。
曲は、新年を迎え、キリストのもたらした平和を讃えるというもので、そのよう
な祝典的な気分は十分に感じられます。第3曲にレシタティーヴォが入るのは、
新機軸です。第4曲のテノールアリアでは、地上にあるありとあらゆる不幸、恐
怖、悲惨、苦難、死、嘆き悲しみの中で、それでも新しい勝利の年を迎えようと
言った内容が歌われ、何か現代に直結するようです。この曲は、ヴァイオリンの
オブリガートも美しく、バッハらしい深さを感じさせるものです。第5曲のバス
アリアで、またホルンとティンパニが鳴りまくるのは、BWV71の構成と似ていま
す。第6曲のテノールアリアに讃美歌の旋律がからんでくるあたりは、バッハに
してはいまいちです。最後の合唱もホルンとティンパニが派手ですが、同じ音型
のくり返しが多く、合唱も単調。このあたりが、バッハらしからぬ点です。しか
し、単純で調子の良い曲も良いものです。バッハらしいとからしくないとか、
ほっといてくれとバッハに言われるかも知れません。
▼次に、BWV150ですが、これは、バッハの現存最初のカンタータと想像されてい
ます。曲の雰囲気や構成はBWV131やBWV196と非常によく似ています。すなわち、
短いシンフォニアで始まり、その後歌詞に密着して次々に変化する小部分をつな
いでいくという手法です。しかし、さらに古風で、全体として未だバッハの個性
が十分に現れていないという気もします。
テキストは聖書の詩篇第25章を中心にしたもので、この点でも特に詩篇をテキ
ストにしたBWV131と似たひたむきな雰囲気を持っています。しかし、全体に各曲
の個性は乏しく、何か古い時代の音楽という印象です。第6曲のアリアでは、
「我が足は網にとらわれ」という歌詞がありますが、器楽部分がいかにも網に
引っかかって進まないという感じの音型を繰り返し、ちょっと面白い効果を出し
ています。終曲はシャコンヌの形式による合唱曲で、合唱、ソプラノ、アルト、
テノール、バス、また合唱というように、次々と波のように押し寄せるくり返し
に、徐々に心を引き込まれていきます。このシャコンヌには若きバッハの情熱
が、十分に表現されていると言えるでしょう。
▼さて、この曲の作曲年代について、「事典」には小林義武氏の興味深い説が紹
介されています。バッハがとりわけ大きな影響を受けた作曲家として、特にパッ
ヘルベルとブクステフーデの名をあげることができますが、パッヘルベルは1706
年に死去しています。また、このシャコンヌの主題はパッヘルベルのあるシャコ
ンヌと一致するそうです。ここから、この曲はパッヘルベルへのオマージュとし
て作曲されたという推測になるのですが、非常に魅力ある仮説だと思います。
▼なお、1884年「バッハ全集」の一部として、このカンタータが初めて出版され
た時、ブラームスはこのシャコンヌに感動し、これをヒントに折から作曲中の交
響曲第4番の終楽章をシャコンヌの形式としたそうです。
▼さて、この曲の演奏についてですが、ここではピッチの設定がなかなか難しい
問題のようです。というのは、レオンハルトの演奏はおそらく(標準的な?)
A=415で行っているのに対し、コープマンと鈴木雅明はそれより約全音高く、お
そらくA=465で行っているようです。A=465の根拠はバッハの初期作品が、オルガ
ンの高いピッチ(コーアトーン)を前提としていることに基づくのだと思います
が、実際に聞いた感じはいかにも高すぎて、響きが薄く感じます。声楽も若干苦
しげです。この曲は自筆譜もなく、残っているのはバッハ死後の筆写譜だけなの
で、機械的にA=465を当てはめるよりも、実践的に考えた方が良いのではないで
しょうか。実際に聞いても、やはり音楽としての感動はレオンハルト盤がはるか
に上です。もし、私がコープマン盤や鈴木盤しか聞いていなかったとしたら、単
に古風な作品という感じ方が強かったでしょう。もちろん、それはピッチだけの
問題ではありませんが。
▼さて、バッハは1708年ミュールハウゼン市当局に辞表を提出し、7月ワイマー
ルの宮廷オルガニスト兼宮廷楽士になります。バッハはこの時の辞表の中で、自
分の終生の目的は整った教会音楽を作曲することであり、現在の地位ではそれが
果たせない故に職を辞したい、という意味のことを書いています。この言葉を額
面通りに受け取るかどうかには議論があるようですが、少なくとも、敬虔主義の
牧師の下で自己の才能を十分に発揮できない現状への不満が、このような表現を
とったと受け取っても間違いではないでしょう。
と言うわけで、舞台はワイマール宮廷に移りますが、この時期と思われるカン
タータが約20曲。ライプチヒへの道のりはまだまだ遠いものです。
「バッハの教会カンタータを聞く」
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