バッハの教会カンタータ
>カンタータ第148番
作曲年代は、1725年の可能性もあるようですが、一応ライプツィヒ1年目の作品として扱っておきます。 なお、この作品は何と言っても冒頭のトランペットの魅力が大きいものです。1723年の作品では、他にも《心と口と行いと生きざまもて》BWV147(7/ 2)や《われ悩める人、われをこの死の体より》BWV48(10/3)など、 トランペットが印象に残る作品があります。
ところで、この日の礼拝の聖書は、安息日にイエスが病人を癒す話と、宴席に招かれたら末席に座りなさいと言う教えです。 そこで、歌詞は安息日とか安らぎの場所というような表象をあれこれ取り上げ、どこに行くのかと思いますが、最後の時には神の大いなる安息日の宴席に招かれたいというところで落ち着くようです。
▼第1曲合唱は、目の覚めるようなトランペットで始まり、喜ばしい合唱がそれに続きます。 やがて合唱フーガに入ると、トランペットは第5の声部を担当します。終始トランペットがリードする、喜びに満ちた合唱曲はこのカンタータの最大の魅力でしょう。
合唱曲の後、通常はレシタティーヴォが来ることが多いですが、ここではテノールのアリアが続きます。今度は、技巧的なヴァイオリンのオブリガートが魅力的。 ヴァイオリン、テノール、通奏低音のチェロの掛け合い、もつれ合いと舞曲風のリズムが楽しい曲です。しかし、それにしてもいささかせわしない気がしましたが、 歌詞自体が「いざわれ急ぎ行きて、命の教えを聞かん」というようなものですから、これにはなるほどと思いました。
第3曲レシタティーヴォ(A)は打って変わって、心の内面を見つめるような曲。弦楽器の伴奏がアルトを柔らかく支えます。この歌詞は、詩編の中でも有名な42編から取られています。
涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。(新共同訳聖書)
4曲目のアリア(A)はオーボエ(またはオーボエ・ダモーレ)2本に、オーボエ・ダカッチャが加わり、 その上通奏低音をファゴットとするならば、木管4本という編成で、のどかな「安息」を歌います。 ここで、アルトの入りの時に通奏低音が沈黙するのは、地上の汚れから離れるというような象徴があるそうです。同様の例は、以前に聞いたBWV105のソプラノアリアにもありました(一貫して通奏低音を欠く)。
▼ここまで聞くと、残りはあっさりしたもので、第5曲レシタティーヴォ(T)など、注意しないと全く印象に残りません。 ただ、ここで「最後の時には神の大いなる安息日の宴席に招かれたい」という、歌詞の上での落ちが来るので、カンタータとしては欠かせない部分のようです。 もともと、礼拝のための音楽なのだと言うことを忘れてはいけませんね。最後のコラールなどさらにあっさりしたもので、歌詞さえ指定されていません。 もっとも、これはバッハの責任ではなくて、娘婿アルトニコルが作った写本の不備と言われています。
やはり、聞き終えて、音楽としての魅力はやはり第1曲がずば抜けています。内省的な第3曲のレシタティーヴォやヴァイオリンのオブリガートも捨てがたいものですが。
▼さて、演奏ですが、次のようなものがあり、他に第1曲だけを収めたものとして、ロッチュ指揮のトーマス合唱団、トランペットはルートヴィヒ・ギュットラーというものがあります。
Rilling 1977 Hänssler Richter 1978 ARCHIV Harnoncourt 1985 TELDEC Koopman 1997 ERATO Leusink 2000 Brilliant Suzuki 2000 BIS
▼まず、リリングとリヒターの比較ですが、リリングの周到さとリヒターの硬直性を感じました。リリング盤はすべてのバランスが取れていて、個々の演奏家のレベルの高さがアンサンブルに捧げられています。 リヒター盤は、壮大に、感動的に響かせようという意図が前面に出て、かえって音楽の真実から離れているようです。 リリング盤のトランペットは、フーガの第5の声部という意味では最高のものでしょう。ヴァイオリンのオブリガートも味わいがあり、また、アルトのヘレン・ワッツの声には感動しました。(ことさらに感動的に歌おうとしているのではなく)。 そして、これらすべての背後にリリングの配慮が感じられるのです。
第1曲だけですが、ギュットラーのトランペットのうまさは、他と隔絶しています。ヴァイオリンよりもさらにニュアンスがあり、レガートが美しく良く歌う、弱音のコントロールなど聞いていて涙が出そうになります。信じられないほどの名技です。
▼最新のBCJ盤を聞くと、楽器も合唱も文句のつけようがありません。テノールアリアのオブリガートは、小走りの様子が楽しく聞けます。テュルクは速いテンポでも余裕を持って歌っています。ただ、アルトは少し平凡に聞こえました。 なお、アルトのレシタティーヴォで、譜例の最後の音符を楽譜そのままに歌っているのには違和感を感じました。
ところが、コープマンを聞くと、決してBCJと比べて整った演奏とは言えず、トランペットの音など不揃いなのですが、はるかに音楽が美しく生き生きしていて楽しめます。テンポもせくことなく、自然です。テノールは同じテュルクですが、こちらの方がのびのびと歌っています。 そして、とにかく合唱のうまさ、自発性、まるで今生まれ出た音楽のような新鮮さ、これが最大の魅力です。
アルノンクールの演奏は、少し年代が古いだけに、ピリオド楽器がまだこなれていないことが、欠点でもあり、面白みでもあります。特に、いかにもナチュラルトランペットらしい荒れ方に迫力を感じたりします。 ヴァイオリンとチェロは、おそらく夫婦で演奏しているのでしょうが、なかなかの味わいでした。
レーシンク盤はこれらの演奏と比較すると、特に合唱はかなり落ちますが、歌手は健闘の部類、そして楽器、特にオーボエはかなりうまい。これはこれで十分に存在価値のある演奏と思いました。
(2003年8月16日)