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カンタータ第190番《主にむかいて新しき歌を歌え》

バッハの教会カンタータ(47) BWV190

カンタータ第190番《主にむかいて新しき歌を歌え》
Singet dem Herrn ein neues Lied
1724, 1/ 1 新年

バッハがライプツィヒで最初に迎えた新年用のカンタータです。今回は、「同時進行企画」として、私の鑑賞記の発表と タイミングを合わせて、Wandrers Aufenthaltのdamoさんが、 カンタータ190番の訳詞をアップしてくださることになりました。ぜひそちらの訳詞の方もご覧ください(訳詞のサイトはこちらです)。 (と言うようなこともありましたが、それも一昔。ようやく自前の訳詞を掲載することができました。→190番対訳)。

カンタータ鑑賞記は、今回でちょうど50曲となりました。他の場所でもお断りしましたように、 これらの文章は、asahi-netのニュースグループで発表したものを、最小限の訂正を加えてアップしているものです。その「ストック」も今回でなくなりました。 来年はまた腰を据えてカンタータを聞いていきたいと思いますが、今まで通りasahi-netに発表した上でこちらに転載するという形を取りたいと思いますので、 しばらくの間、カンタータの記事の更新はお休みさせていただきます。もちろん、その他の一覧表、リンク、掲示板などは随時更新していきますので、 今まで通りご利用ください。
それではみなさま良いお年をお迎えください。

(2002年12月28日)


カンタータ第190番は、バッハがライプツィヒで初めて迎えた新年のために作曲され たものです。それ以前の新年のためのカンタータとしては、カンタータ第143番があ りますが、偽作の疑いもあり、確実なものとしてはこれが最初と言うことにな ります。

また、このカンタータの第1曲と第2曲は、合唱4部とヴァイオリンパートしか残っ ておらず、補作によって演奏することになります。そのためか、録音は少なく、現在 入手できるのはリリングとコープマンだけのようです。リリングが採用しているの は、オリヴィエ・アラン(フランスの音楽学者。「ゴルトベルク変奏曲の主題による 14のカノン」の発見者としても有名。)の復元、コープマンは自ら復元を行ってい ます。コープマンの意欲はともかく、できばえはアランのものがはるかに上です。ア ランは「最も問題なのは、いかにバッハらしい通奏低音をこしらえるかと言うこと だ」と述べていますが、その点十分納得できるものになっています。一方、コープマ ンの復元は、どことなく、偽作と疑われるカンタータ143番を思い出させます。

▼さて、第1曲は(アランの復元)、実に生き生きした合唱曲で、バッハとしても 相当の会心作だったのではと想像されます。トランペットとティンパニの活躍する華 やかな前奏に続き、跳ね踊るような付点リズムを持つ合唱が「主に向かって新しい歌 を歌え」「タンバリンと踊りで」「弦楽器と笛で」とひとしきり歌います。ついで、 厳か なドイツ語「テ・デウム」が「主をほめたたえよ」とユニゾンで歌われ、中間部の フーガに移行しますが、ここでも弾むようなリズムが伏流となり、随所に姿を見せま す。(コープマン盤では、「テ・デウム」の祝典的な厳かさが全く表れず、小学生の 唱歌のようになってしまう。)フーガが終わり、再び「テ・デウム」が歌われ、最後 の「アレルヤ」が華やかに歌われるという対称的な構造をとっています。

第2曲は、今度は4声で「テ・デウム」が4度歌われる間にバス、テノール、アルト のレシタティーヴォがサンドウィッチされるという構造になっています。それぞれ が、新しい年を迎えるにあたっての、神への感謝と讃美を述べるのですが、特にテ ノールの歌詞は印象に残ります。

われらの全国土と価値ある都市を
飢饉、疫病そして戦争から守り
というのですが、これは日本国憲法前文と同じことを信仰の立場から言っているので すね。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

ここまでは、祝祭的、儀式的ですが、第3曲のアリア(A)は親しげで喜びに満ちた メロディーが特徴です。歌詞の前半は、ヘンデルのメサイアのアリア、"O thou that tellest good tidings to Zion"と同様。後半は「牧者」としての神を讃えます。

第4曲のレシタティーヴォ(B)では、神がすなわちイエスに他ならないことが初め て明らかにされ、新しい年をイエスの名によって始めようという決意が述べられま す。その通りに、第5曲デュエット(T,B)では、すべての行が「イエス」で始まる のです。テノールとバスの掛け合いは、ある時はカノン的に、ある時は3度6度で和 声的に、それにオーボエ・ダモーレがからみ、飽きることのない音楽です。なお、リ リング盤のオーボエ・ダモーレがたまらない音色を出していると思ってブックレット を見ると、これがパッシンでした。

第6曲のレシタティーヴォ(T)で、音楽は再び儀式に戻り、イエスの祝福が、教 会、学校、市会、家々にあるように祈ります。この部分、同様の歌詞の繰り返しが非 常に効果的です。そして、人々が抱き合い、新しい年を祝福のうちに生きられるよう にと祈るのです。弦楽合奏の「光背」の効果が、この曲を真摯で厳かなものにしてい ます。

第7曲コラール。ここでは、各行の終わりに、華やかなトランペットとティンパニ が、同じパッセージを繰り返します。音楽的にもっと変化があった方が良いとも感じられますが (たとえばBWV 69のコラールではもっと変化がある)、むしろ祝祭的、儀式的な性格を際立たせる効果があるとも思えます。 このカンタータは、第4曲のメッセージを中核として、個人的、心情的な3〜5曲を祝祭的、 儀式的な1,2,6,7曲がはさみこんでいるという明確な構造を持っているのです。

▼演奏は、復元の出来も含めて、リリング盤しか考えられません。コープマン盤で は、復元の失敗が響いて、最後までちぐはぐな印象でした。

(2002年1月13日)


最近出たBCJのカンタータ全集第21巻に、このカンタータが含まれていました。 注目の第1曲の復元は、鈴木雅明氏の監修により、ご子息の鈴木優人(まさと)氏(東京芸術大学作曲科在学中)が行ったものです。

さて、そのできばえについて、専門的な分析や議論は私の能力を超えたことですが、実際に聞いてみた感想としてはオリヴィエ・アランの復元を上回るものではありませんでした。 コープマンの復元が、やや恣意的と感じられるのに対して、なるべくバッハの意図に即して行おうとしている姿勢は良く理解できます。 そして、「復元」という言葉の意味から言えば、アランのものより十全な復元と言えるかもしれません。アランの復元は控えめなもので、言わば、バッハが手抜きをすればこうなるかと思わせるようなものです。

しかし、実際にバッハが行ったことを誰が想像できるでしょうか。現在、次に取り上げるカンタータ95番を聞いているのですが、 例えばこの第3曲のコラールで、オーボエ・ダモーレのパートが欠けていたとしたら…このように慰めに満ちたオブリガートを誰が「復元」することができるでしょうか。

結局、誰もバッハに代わることはできず、失われたものを復活するのは不可能です。それならば、残されたものをなるべく損なわないように、最小限の形式を整えるような復元が、少なくとも鑑賞のためには望ましいと言うことではないでしょうか。 そういう意味で、録音で聞ける190番としては、依然としてリリングの演奏が貴重であると思います。

(2003年6月14日)

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2003-06-14, 2012-10-04更新
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