バッハの教会カンタータ>カンタータ第46番
DOVERの"Seven Great Cantatas"から5曲目です。それにしても、この楽譜は安くて大きくてたくさ ん入っていて、ありがたいです。ソプラノ記号アルト記号なども、自筆譜に近いはずだし、英語の対訳も分かりやすいし。それはともかく、初演は1723年 8月1日 三位一体節後第10日曜日、バッハのライプツィヒ一年目、有名なカンタータ第147番 《心と口と行いと生きざまもて》の一月ほど後の作品です。
▼さて、この作品、冒頭から一気に引き込まれていきます。この合唱曲は、後にミサ曲ロ 短調の"Qui tollis peccata mundi"に使用されたものですが、何と深い悲しみの表情 のこもった音楽でしょうか。2本のレコーダーに導かれて、曲はゆったりした3拍子 からアレグロのフーガに移っていきます。これは、器楽曲で言えば、前奏曲とフーガ の形式をなしていると言うことですが、とりわけ前奏曲の部分の不協和音の痛切さ。
続くテノールのレシタティーヴォもレコーダーが主導し、人類の罪に対する神の裁き により、都市が瓦礫に帰する情景を述べます。
3曲目、バスのアリアはこのカンタータのクライマックス。冒頭からトランペット (またはホルン)のC maj 7 の分散和音と通奏低音の16分音符により神の怒りによ る嵐と稲妻の光景が描き出されます。バスのコロラトゥーラとトランペットの同期 は、聞いていてすさまじいものがあります。ここでは、「嵐」や「稲妻」という歌詞 に応じて音楽が最大限描写的に展開するところが聞き所です。
続くアルトのレシタティーヴォで曲想は一変し、人の罪に対する神の裁きは過去のエ ルサレムなどの都市のみならず、現在の一人一人の罪に対しても同様であることが述 べられます。
ところが、5曲目で雰囲気は一変して、アルトのアリアは2本のレコーダーと2本のオーボエ・ ダ・カッチャのみの伴奏で、イエスの愛が人類を平和に守ることを歌います。伴奏に 低音部を欠くのは、イエスの無謬性を表すと言うことですが、いかにも無垢で純真な イメージを表していると思います。「羊の群を守るように、親鳥が雛を守るように」 という歌詞に現れるような平和な雰囲気が全曲を支配しますが、「嵐が来たときも… 敬虔な人々を平和に守る」と言うときに、しばしの波乱が訪れます。この音楽は、何 となく鶏が騒ぎ立てる感じなのが面白いです。デュルによる解説では「羊の群を守 る」と「レコーダー」の関連が指摘されていますが、そう言えば BWV 208 の有名な アリア「羊たちは安らかに草をはみ」でも2本のレコーダーが登場したのでした。
最後は、例によってコラールでしめくくられるのですが、ここでも2本のレコーダー が全曲をリードし、冒頭からの悲しみと恐れの感情が消え去らないという印象を残し て終わります。
▼ともかく、これはめったにないすごい作品ですよということを、毎週のように言わ なければならないのがバッハのすごさで、しみじみとバッハの教会カンタータは宝の 山です。
演奏ですが、とりあえず次のものがあります。
レオンハルト 1975 TELDECこの中では、細かい比較をするまでもなく、レオンハルトが圧倒的な名演と思います。悲し みの表情、嵐のすさまじさと言った音楽的な表現、エクィルツ、ヤーコプスなどの独 唱のすばらしさ、あるいはトランペットなどの独奏のうまさ、いずれをとっても、い まだにこれをしのぐものは出ていないようです。
その他の演奏も、それぞれ優れたもので、リリングもバランス良く高揚あり、コープ マンも合唱のしなやかさが素晴らしくメルテンスのうまさ抜群。鈴木盤では、合奏側 がうまく特に島田俊雄氏による"Corno da tirarsi"(スライドホルン!)の復元など聞きものです。ただ、 逆に言えばその他の点では物足りないところがあるということで、コープマンは全体 に楽器側の表現がもの足りず、鈴木盤は独唱陣が私には全く不満です。特に、カイ・ ヴェッセルのアルト(カウンターテナー)は聞き苦しい。桜田のテナーも楽譜をな ぞっているだけ。このあたりは、ヤーコプス、エクィルツと天地の差があります。
▼そう言うわけで、DOVERの選曲が良いのか、そもそもバッハの曲がどれも良いの か、まだよく分かりませんが、この作品も確かな聞き応えのある名曲でした。特に、 冒頭の合唱の澄み切った悲しみ、バスのアリアのすさまじい描写的効果が印象に残り ました。
(2001年4月15日)