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1:Gott ist unsre Zuversicht,
ゴット イスト ウンズレ ツーフェルズィヒト
神は私たちの拠り所である
Gott ist は、そのまま英語の God is 。 unsre は「私たちの」の意味の所有冠詞 unser の女性1格形(続くZuversicht は女性名詞なので)。 発音は「ウンズレ」 s は濁って発音される点に注意。
Zuversicht は「確信、自信」などの訳語があり、英語では confidence 。 聖書では「避けどころ」と訳される、英語では refuge 等、(詩編46:1, 62:8)。 人間の側に確信や自信があるというのではなく、神こそが人間にとって確かな拠り所であるという意味。
2:wir vertrauen seinen Händen.
ヴィール フェルトラオエン ザイネン ヘンデン
私たちは彼の御手に依り頼む
wir 「私たちは」。長母音に注意。 vertrauen は「信頼する」、英語の trust 。聖書では「依り頼む」あるいは、 そのまま「避けどころとする」などと訳されている。英語では put their trust や take refuge など。(詩編17:7)。
seinen は「彼の」の意味の所有冠詞 sein の複数3格形。Händen は「手」Hand の複数3格。 「3格」というのはおおむね日本語の「〜に」にあたる。つまり、「神を信頼する」ではなく「神に信頼する」。 日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と同じ用法。 英語でも We trust God. ではなく We trust in God. と言う(と思う)。
一応「御手に依り頼む」としておいたが、要するに神の手の導きに自分をまかせてしまうと言うこと。
3:Wie er unsre Wege führt,
ヴィー エル ウンズレ ヴェーゲ フュールト
どのように彼(神)が私たちの道を導かれるか(その導き方)
Wie は英語の how と同じ。unsre は1行目と同じ形だが、 この場合は複数4格形。Wege は Weg(道)の複数4格。 「4格」というのはおおむね日本語の「〜を」に当たる。 führt は動詞 führen(導く)の3人称単数形。 よって、「どのように彼が私たちの道(複数)を導かれるか」という意味になる。 なお、この構文では語順が日本語と全く同じになるのが英語とは違う点。
なおなお、カンタータ102番でも「フューレン」という単語が何度も出てきたが、 あれは fühlen 、つまり英語の feel。LとRの違いで、意味も「左右」される。
4:wie er unser Herz regiert,
ヴィー エル ウンゼル ヘルツ レギールト
どのように彼(神)が私たちの心を支配されるか(その支配のなされ様)
今度は unsre ではなくて unser であることに注意。所有冠詞 unser の中性4格形。つまり「私たちの心を」となる。 「私たちの」だから「心」も複数でないとおかしいというような理屈は言わない。 「心を一つにして」とも言うぐらいで、この場合の Herz は中性名詞単数4格。
regiert は regieren (治める、統治する)の、やはり3人称単数形。
5:da ist Segen aller Enden.
ダー イスト ゼーゲン アレル エンデン
そこに(彼が導かれるところに)は至る所に祝福がある
da は「そこに」、つまり3行目4行目を受けて「そこに」と言っている。
ist は英語の is と同じだが、この場合は「〜である」ではなくて、「〜が存在する」の意味。 つまり、Segen(祝福)が存在すると言うこと。 最後の aller Enden が少し難しいが、すべての端から端までというような意味で、つまり「至る所」。 aller は複数2格形。Enden は Ende(端)の複数2格。 「2格」というのは普通は日本語の「〜の」に当たり、そのように訳すと手前の Segen を修飾して「至る所の祝福が」となる。 しかし、古いドイツ語では「2格」の非常に多彩な用法があり、 この場合は、aller Enden ひとまとまりで「至る所に」という副詞的な意味になる。
*ブライトコップフのヴォーカルスコアでは、"allerenden"と一語で綴っています。 これなら話は簡単で、要するに「至る所に」という意味の副詞です。
なお、1行目、3行目、4行目は t で終わり、特に3行目4行目は rt で韻を 踏んでいる。 2行目と5行目は Händen と Enden のきれいな押韻。
このコラールは、ルターによるコラール、"Nun bitten wir den HeiligenGeist" (「今ぞわれら聖霊に頼み」)全4節のうち、第3節を歌っています。
ルター作と言っても、メロディは宗教改革以前からのものの改作、歌詞も第1節は、 やはりすでに13世紀には存在していたもので、ルターは2,3,4節を作詞したのです。 「キリエライス」で終わる古風な歌詞は、やはり中世以来の響きを残しているわけです。
なお、同じメロディと歌詞は、カンタータ169番の終曲コラールでも用いられています。
1:Du süße Lieb, schenk uns deine Gunst,
ドゥー ズューセ リープ、 シェンク ウンス ダイネ グンスト
甘美な愛よ、あなたの好意を私たちに贈ってください、
du は2人称親称。「汝」とか「おまえ」とか訳されるが、親は子どもに du 子どもは親に du と呼びかけるので、 上下は関係なく、ただ親しみがあるだけの言葉。この場合は呼びかけなので、あえて訳す必要はない(と思う)。
süß は「甘い」という意味の形容詞だが、このように後ろの名詞を修飾する場合は、 名詞の性・格・数に応じて -e とか -er とかいろいろな語尾が付くので、 覚えるのが一苦労。この場合は後ろが女性名詞 Liebe の1格ということで、-e が付いている。 なお、Liebe ではなくて Lieb となっているのは、音節数を合わせるために最後の e を省略したもの。 こっちはわざわざ -e を付けるくせに、 こっちは e を省略して、すごく勝手みたいですが、いまさら外国人が文句を言っても始まらない。
schenk uns はだいたい英語の give us に当たり、schenk は、 贈り物として誰かにあげるという意味の動詞 schenken の命令形。 ドイツ語の wir と uns は英語の we と us に似ている。
Gunst は英語の favor だが、好意、恩恵、愛顧、ひいき等々、なかなかぴったり来る訳語が見つからない。 deine は前回も出てきた「所有冠詞」で、親称の「あなたの」の意味の所有冠詞 dein の女性4格形。 4格は「〜を」なので、 「好意を」。先ほどの uns は wir の3格で「私たちに」となる。
2:laß uns empfinden der Liebe Brunst,
ラス ウンス エンプフィンデン デル リーベ ブルンスト
私たちに愛の熱情を感じさせてください
なお、一応カタカナで発音を書いているが、決して日本語読みはしないように。 特に「プフィ」は同時に発音される。
laß uns はそのまま英語の let us と思えば良い。empfinden は例の fühlen の同義語で「感じる」だが、 どっちかというと心で感じること。
der Liebe Brunst はまた例の「2格」の用例。der Liebe は女性名詞の2格で定冠詞の女性2格形がついたもの。
今度こそ「愛の」という意味。英語で言えば"of the love"。
ところで普通は2格は修飾する名詞の後ろについて、die Brunst der Liebe(愛の熱情を)となるが、
2格が前に出た場合は、der Liebe Brunst となり、
Brunst の前にあった定冠詞 die は省略される。意味は同じ。カンタータの歌詞にはその例がかなり多いようだ。
なお、Brunst を最近の辞書で引くと、「発情、交尾、発情期」などの訳語しかなく、身も蓋もない。 もともと「火事」という意味から「激情、熱情」→「欲情、色欲」→現在の意味に移り変わったもので、 原意は失われてしまった。ことバッハに関しては、辞書は古い方が良い。(バッハ以後200年間の変化よりも、 最近50年間ぐらいの変化の方が大きいのかも知れない。)
3:dass wir uns von Herzen einander lieben,
ダス ヴィール ウンス フォン ヘルツェン アイナンデル リーベン
私たちが心から互いに愛し合い、
einander は語源的には ein + ander だが、発音はアインアンダーではなくアイナンダー。 バッハを歌うときはアイナンデル。意味は「お互いに」。
dass は語源的に英語の that と同じで、 この場合は1行目と2行目の目的を示す従属節を導く(英語なら so that と言うところ)。「私たちが〜するように」。
wir の次の uns は「再帰代名詞」と言って、行為の対象が主語と同じである場合に使う。 この場合、「お互いに」愛するのだから、要するに自分たちが自分たちを愛し合うことになる。 ドイツ語はこの再帰代名詞が大好きで、 たとえば「私は本を買う」というのを「私は私に本を買う」"Ich kaufe mir ein Buch."なんて言い方をする。 ご苦労様だが、訳す必要はないことが多い。
von Herzen はそのまま「心から」
4:und in Fried auf einem Sinne bleiben.
ウント イン フリート アオフ アイネム ズィンネ ブライベン
そして心を一つにして平安の内にあるように(そのために、あなたの好意を私たちに贈り…してください)。
従属節の続き、主語は wir のまま。
現代語の Frieden(平和、安らぎ)の古い言い方が Friede で、また最後の e が略されている。
Mit Fried und Freud ich fahr dahin 「平安と歓喜もてわれは往く」という有名なコラールがあるが、どちらも最後の e がない。
ところが、次の auf einem Sinne 。auf はまあ英語の on で、auf einem Sinne「一つの気持ちで」となるが、
現代語では Sinne の e は不必要。ほんとに -e を付けたりはずしたり、ややこしいことです。
Sinn は「意識、気持ち」という意味での「心」。
なお、einem は一見ただの不定冠詞のようだが、この場合は発音にアクセントが付いて、
「一つの、同じ」という意味を表す。変化は不定冠詞と同じで、この場合は ein の男性3格 einem となる。
bleiben は、カンタータ6番の冒頭合唱に"Bleib bei uns"の形で出てくる。英語の stay 「留まる、〜の状態でいる」こと。
ところで、この歌詞は、新約聖書「コリントの信徒への手紙」第1章第10節のルター訳から来ているようだ。 (日本語は新共同訳聖書)。
sondern haltet fest aneinander in einem Sinne und in einerlei Meinung.
(仲たがい)せず、心を一つにし思いを一つにして固く結び合いなさい。
5:Kyrie eleis!
キ(ュ)リエ エライス
これは見て分かるように、Kyrie eleison がドイツ語風になまったもの。さらに「キリエライス」と縮まったりする。 「南無阿弥陀仏」が「なんまいだ」になるようなもので、訳すとかえって意味がなくなる。
この197番終曲のコラールですが、一応 Wer nur den lieben Gott laesst walten 《尊き御神の統べしらすままにまつろい》と言うコラールの第7節(最終節)ということになっています。 「一応」というのは自筆スコアに歌詞が記入されていないからですが、旧バッハ全集以来この歌詞をあてることになっています。
このコラールの全体については、以下を参照してください。 →カンタータの歌詞とメロディ
全体として人生訓的な歌詞が特徴です。ただ、この第7節は88番、93番でも出てくるのですが、 歌詞がかなり違います。しかもバッハは歌詞を指定していないので、なぜこの歌詞があてられたのか、良く分かりません。
1:So wandelt froh auf Gottes Wegen,
ゾー ヴァンデルト フロー アウフ ゴッテス ヴェーゲン
それゆえ神の道を喜び歩み、
so は英語の so と同じで、この場合は6節までに述べたことすべてを受けて、
「それゆえ」と言っている。wandelt は、"Jesu, meine Freude"で出てきた単語
("die nicht nach dem Fleische wandeln")。
「歩む」つまり人生を生きていくことで、その命令形。froh は「喜んで」。
auf Gottes Wegen で「神の道(の上)を」。Weg が道、
Wege が複数、Wegen で複数3格。前置詞 auf は3格に付く。
Gottes は Gott の2格と言うことだが、そういう面倒なことを言わなくても、
「神の〜」という場合はこのように Gottes 〜 と言うことが多い。
( in Gottes Namen 「神の御名において」etc.)
2:und was ihr tut, das tut getreu!
ウント ヴァス イール トゥート、ダス トゥート ゲトロイ
そしてあなたがたが何を行うにしても、それを誠実に行え!
was はこの場合英語の whatever に当たる。
ihr は 親称 du の複数で、「あなたがた」で良いが、丁寧な言い方ではない。
tun 「行う」 ihr tut 「君たちが行う」と変化する。
das は、ここでは英語の it と同じ。つまり do it faithfully! と同じだが、語順が違う。 英語では it do faithfully とは言わない。語順から das を主語と受け取ってしまうと意味が分からなくなる。 なお、定冠詞の das とは違って発音にアクセントがある(長音ではない)。
3:Verdienet eures Gottes Segen,
フェルディーネット オイレス ゴッテス ゼーゲン
あなたがたの神の祝福を手に入れよ、
verdienet(verdienen の命令形)は、英語では earn で、「働いて得る」という意味。
神の祝福を手に入れるための表現としては、いかにも庶民的な感じがする。
これも、2格が先に出て Segen の冠詞が省略された表現。丁寧に書くと、
Verdienet den Segen eures Gottes となる。
Segen 「祝福」はすでに第1曲で出てきた単語。 eures Gottes 「君たちの神の」が2格で、前の Segen を修飾する。
それをひっくり返して eures Gottes Segen としている。
euer は ihr に対応する所有冠詞で、-e 等の語尾がつく場合は eure 等と e が一つ省略される。
4:denn der ist alle Morgen neu:
デン デール イスト アレ モルゲン ノイ
それ(神の祝福)は朝毎に新たなのだから
denn は軽く理由を示す接続詞、「というのは〜だから」という意味になる。
der は Segen を受ける指示代名詞で、やはり発音にアクセントがあり、長音となる。
alle Morgen 「毎朝」。
5:denn welcher seine Zuversicht
6:auf Gott setzt, den verläßt er nicht.
デン ヴェルヒャー ザイネ ツーフェルズィヒト
アオフ ゴット ゼッツト デーン フェルレスト エル ニヒト
(そして)誰であれその信頼を
神に置く者は、その者を彼(神)は見捨てたまわないのだから。
ここは2行まとめないと意味が取りにくい。denn は先ほどと同じ。 welcher はこの場合英語の whoever と同じで、「〜する者は誰でも」。 その後の単語の並び方が、また日本語式になる。seine 「彼の」、Zuversicht 「確信を」、auf Gott 「神に」、setzt 「置く(者は)」。 行を分けて訳すために「信頼を神に置く」としたが、もちろん第1曲のように、 「神に依り頼む者は」としても同じ意味。
次の den は先ほどの der と同じく、前の文の内容を受ける指示代名詞で、der
の4格。つまり「その者を」の意味になる。定冠詞と違って、長音で発音にはっきりしたアクセントがある。
verlässt は不規則動詞 verlassen 「見捨てる」の3人称単数形。
この文をそのまま英語に置き換えると、him leaves he not となって、かなり変だが、
別に詩だから無理をしているのではなくて、これが普通のドイツ語の語順。