バッハの教会カンタータ>
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私事ですが、先日私の父が逝去いたしました。満96歳の誕生日を迎えたばかりでしたが、もはやそれ以上生きる力は残されていませんでした。 96歳で年齢に不足はなかったと人には言われます。しかし、今まで存在していた人が急に存在しなくなったことの空虚はなかなか埋めようがありません。 激しくはありませんが、静かな悲しみがひたひたと押し寄せてきます。
父は物理学者でした。しかし私は物理学はもちろん、もろもろの父の美点をほとんど受けつぐことの出来なかった不肖の息子です。 そんな私が確かに父から受けつぐことができたものは、バッハの音楽です。バッハの音楽は、実に私の幼い頃から身辺にありました。
記憶をたどると、私が小学校に入学するかしないかの頃に、父から1枚のドーナツ盤をプレゼントされました。それはヘルムート・ヴァルヒャの演奏するトッカータとフーガニ短調で、私はそれをけっこう好んで聴いていたようです。 それからしばらくして、今度は父から1枚のLPと先のドーナツ盤を交換しようと提案されました。私は大きなレコードが自分のものになるのがうれしくて、一も二もなくその提案を受け入れました。それがギーゼキングの弾くメンデルスゾーン無言歌集で、これも私は繰り返し聴いていました。 このような思い出を語ると際限がありませんが、ともかく私が少年時代までに聴いていた音楽は、ほとんどが父の持つバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどのレコードでした。また、それらの音楽について時たま父と語り合うこともありました。
その後私はロマン派の音楽をシューマンからワーグナー、マーラーとたどり、またフォーレ、ドビュッシーなどを愛するようになりますが、数十年を経て再び出発点のバッハに立ち戻ることになりました。(もちろん、どの音楽も好きですが)。 そして、バッハについていろいろなことを考え、感じる中で、それを父と語り合いたいと思ったことが何度もあります。しかし、残念なことに、父は晩年聴力が非常に衰え、全く音楽を聴くことができなくなってしまいました。 もう少し早くにバッハにたどり着いていたら、それを父と語り合うことができたのにと、今も悔やまれます。
父は学生の頃からピアノを自学自習し、バッハの鍵盤曲を繰り返し練習しては弾いていました。それは、平均律であったり、インヴェンションであったり、フランス組曲であったり、ゴルトベルクに挑戦していた時期もありました。ある時には「主よ、人の望みの喜びよ」を繰り返し弾いていました。家族からは同じものを何度も繰り返すと不評でしたが、今となってはそれも懐かしい思い出です。
Jesus, joy of man's desiring (trans. Hess) / Myra Hess, 1940
また、昔父と一緒にレコードを聴いていたとき、「この曲はいいねえ、わたしの葬式ではこの曲を流してほしい」と言っていたことがあります。それがシュヴァイツァーの弾くメンデルスゾーンのオルガンソナタ第4番でした。もちろん、バッハの音楽で「死んだときに」というものがいくつもあったはずですが、残念ながら具体的にどの曲なのかが分かりません。 バッハの曲ではありませんが、今このメンデルスゾーンを数十年ぶりに聴いてみると、やはりバッハの精神が脈々と受け継がれていることを感じます。この曲を聴きながら父を偲びたいと思います。
Mendelssohn Organ Sonata No.4 in B Flat Major, Op.65, 3rd Mov, Allegretto / Albert Schweitzer, early 1950's
(2006年6月7日)
バッハの教会カンタータについて書きためたことを、ホームページとして公開することになったのは昨2001年の8月でした。これはもっぱら KechiKechi Classics のhayashiさんのお骨折りによるもので、私はただ原稿を送るだけでした。私自身は、ホームページの作り方も皆目わからず、 どうやら"html"というものが関係あるらしいと言う程度の状態でした。しかし、「師匠」のおすすめもあり少しずつ勉強するうちに、とうとう このように自前のホームページに引っ越しすることになりました。hayashiさん、8ヶ月間本当にお世話になりました。 また、この間思いがけず多くのみなさまの訪問をいただくことになりました。ひとえに感謝です。
さて、カンタータの方は、ようやくケーテン時代(トーマス・カントル応募作品2曲)までが終わり、 いよいよライプツィヒ時代に突入します。若き日のバッハのカンタータには、他に代え難い魅力がありますが、 やはりライプツィヒ時代の成果は質量共に圧倒的です。深い森に足を踏み入れるような心地ですが、 その多彩な魅力を十分に鑑賞していきたいと思います。
全カンタータを聞き終わるまでには、まだ相当の年月が必要と思いますが、どうか今後も気長によろしくおつきあい下さい。
(2002年3月28日)
♪ KechiKechi Classics ♪のHayashiさんのお骨折りで、とにかくバッハのカンター タだけというHPを開いて、ほぼ5ヶ月が経ち、無事に2年目を迎えることになりま した。この間HPを訪問してくださった多くの皆様にお礼を申し上げます。もちろ ん、「育ての親」であるHayashiさんには足を向けて寝ることができません。
さて、この5ヶ月は決して世界にとって幸福な5ヶ月ではありませんでした。12月31日付の 毎日新聞の一面には、朝比奈隆氏のご逝去もさることながら、あの明石市朝霧におい て人工の砂浜が陥没し、幼い命が危機にさらされるという事件が報道されていまし た。被害者の美帆ちゃんは救出時、心肺停止状態だったが、搬送先の病院で心拍が回 復、自発呼吸も戻ったということです。早い完全な回復をお祈りします。ちょうどこ のHPが開設されたころ、同じ明石市朝霧において、花火大会での歩道橋圧死事件が 起こっており、今年のこのHPはその二つの不幸な事件の間に位置していることにな ります。
二つの事件に共通するのは、第一に、家族・友人たちが、最も幸せで、最も命が輝く はずの時に、突然その健康や命を奪われていること。そして、住民の命と健康に最も責任 を持たなければならない自治体を初めとする行政機関が、当然果たさなければならな い責務を放棄して「不作為の罪」を犯しているばかりか、その罪を感じる前にまず責 任のなすり合い、責任転嫁を計るという醜い姿です。
命輝くそのときに命を奪われたのは、9月に起こった同時多発テロ事件も同じです。 卑劣なテロ攻撃は決して許されない人類に対する罪です。しかし、その「報復」とし て今もなお行われているアフガン攻撃は、アフガンの罪のない民衆を多数殺戮し、子 どもたちの手足を吹き飛ばしています。自らの「罪」を知らず、ただ自らの「正義」 と「正当化」だけを主張する人たちが支配する世界に未来はあるのかと、暗澹たる気 持ちになるのです。
指揮者のバーンスタインが生前広島を訪れ、原爆資料館を見学したとき、そのショッ クと平和への思いを楽団員に語っている映像を見たことがあります。語り終えたバー ンスタインは、「さあ、そんなことを思いながら、ベートーヴェンを演奏しよう !」。私も、今、バッハを聞きながら同じことを思います。
カンタータ第190番《主にむかいて新しき歌を歌え》は、バッハがライプツィヒで初 めて迎えた1724年の新年の1月1日に初演されています。(これはバッハが新年用に 作ったカンタータのうち、確実なものとしては最初のものです。)この第2曲レシタ ティーヴォの、神を誉め讃える歌詞に
われらの全土と価値ある都市をという一節があります。私はこれを見ると、日本国憲法前文の
飢饉、疫病そして戦争から守り
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、という一節を思い出さずにおれません。来るべき2002年という年が、真に「新し い歌」を喜びをもって歌える年となることを祈ります。
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
カンタータの方は、いよいよライプチヒ時代に突入します。どうか、新しい年も 当HPをご訪問くださり、ご意見・ご叱責を賜りますようお願いいたします。
(2002年1月1日)
これは、実に広く深い世界です。
バッハ没後250年の年に、ともかく教会カンタータを全部聞いてやろうと決めました。おおむね作曲年代順に、1曲ずつ聞いては、それについて文章を書き…と繰り返してきて、やっと1723年、つまりバッハがライプチヒのトーマス・カントルに就任した年にたどり着いたところです。曲数にして50曲足らず。まだ道のりの4分の1にすぎません。正直に言えば、時には退屈をかみ殺しながら聞き続けることもありますが、そういう時に限って、今度は不意に感動とショックに包まれたりするのです。カンタータの世界をまだかいま見たにすぎませんが、これほどバッハという存在を身近に感じたのも初めてのことです。
これらの文章は、私が加入しているasahi-netの会員専用ニュースグループで発表してきたものです。このたび、 ご縁があり、"KechiKechi Classics"のhayashiさんが、私の文章をこのような形のWEBページにして下さることになりました。 バッハファンの方々の参考になるような内容かどうか自信はありませんが、hayashiさんのお薦めにより、 こういう形で発表する機会を得たことを感謝しています。"KechiKechi Classics"のような豊富な内容はありませんが、 どうか暖かく気長に見守ってやってください。よろしくお願いいたします。