バッハの教会カンタータ>カンタータ第105番
日付が変わってしまいましたが、278年前の7月25日に演奏さ れたカンタータです。以下のように、バッハのライプツィヒデビューから8作目に当たります。 ここまで、いずれも良くできた作品ですが、このカンタータはとりわけ霊感に満ちたものです。 これはまさにバッハであり、バッハ以外にはなしえないものと言えるでしょう。
BWV 75 5/30 三位一体節後第 1日曜日 BWV 76 6/ 6 三位一体節後第 2日曜日 BWV 24 6/20 三位一体節後第 4日曜日 BWV 167 6/24 洗礼者ヨハネの祝日 BWV 147 7/ 2 マリアのエリザベト訪問の祝日 BWV 186 7/11 三位一体節後第 7日曜日 BWV 136 7/18 三位一体節後第 8日曜日 BWV 105 7/25 三位一体節後第 9日曜日
▼作品の規模はそれほど大きなものではありません。前奏曲とフーガの形式を取った 合唱曲に始まり、以下レシタティーヴォ(A)、アリア(S)、レシタティーヴォ(B)、ア リア(T)と繰り返されて、最後はコラールで終わるというものです。時間は20分余 りのものですが、音楽的なエネルギーの密度は大変なものです。
最初の合唱曲。何と深い響きでしょうか。掛留の不協和音が次々と起こり、新しい場 面が次々開けていくような感覚をもたらします。そして、「_タッタータ」というモ ティーフが繰り返されるのは平均率第2巻12番などと同様。(「ため息モティー フ」)やがて、激しい合唱フーガになだれ込みます。ともかく、 バッハの最も優れた合唱曲(の一つ)と言えるでしょう。なお、歌詞は上に載せた作 品の標題が前奏曲。そして、フーガが「あなたの目の前にいかなる人も義とされな い」。それだけです。
レシタティーヴォで、神の前にひれ伏して許しを請う姿が語られ、次のソプラノのア リア。これこそバッハの最高のアリア(の一つ)ではないでしょうか。通奏低音を欠 いて、ヴァイオリンが16分音符、ヴィオラが8分音符を刻み、心の震えおののく姿 が描写される中に、オーボエが不安と恐れの思いを歌い始める、やがてそれはソプラ ノの歌に影となって貼り付くのです。ソプラノは切れ切れに歌い始めますが、やがて 罪人の心の中を描写しはじめると、「(お互いを)責め合う」"verklagen"「あえて (言い訳を)する」"wagen"の部分で思い切ったメリスマが歌われます。このあたり のテキストと音楽の緊張関係はすさまじいほどのものです。それでいて、このアリア は歌詞の意味を考えるまでもなく、例えようもなくすごみがありかつ美しい。逆に、 その美しさから、歌詞の意味も伝わってくる気がします。
ここで音楽は一転して、安らぎの世界に入ります。バスのレシタティーヴォは、まる でアリアのような色彩のあるもので、イエスの贖罪により、たとえ肉体は滅んで土に 帰っても、魂は永遠の世界に迎えられることを語ります。ずっと続く低弦のピチカー トは弔いの鐘というか、「死の時」が打つ音を表しています。
そしてテノールのアリアは、解放の喜びに満ちたものです。1曲目でもホルンが良い 味付けとなっていましたが、こちらではさらにホルンが表面に出て喜びの気分を盛り 上げます。「イエスを友とするならば、この世の富はもはや意味がない…」マタイ受 難曲で「(私の心から)世よ出てゆけ。イエスを迎え入れよう。」といった歌詞があ りますが、同様の感情を表しています。
ここまでの展開もすごいのですが、最後のコラールもただでは終わりません。ソプラ ノのアリアで出てきた16分音符の刻みが今度はコラールを伴奏し、1節毎に三連 符、8分音符…と徐々に動悸がおさまっていくように変化し、最後は4分音符で 終わるのです。これは、大変シンプルですが、心のドラマをずばり力強く描写した音楽 です。
▼この作品のように、今まで知らなかった傑作に出会うたびに、バッハのすごさを思 い知らされ、またカンタータを聴き続ける気力が湧いてきます。もう時間も遅いの で、演奏については別に書きますが、結論だけ言うと、リリングの演奏は最高、次い でヘレヴェッヘも大変共感に満ちた演奏でした。レーシンクも含めて、つまらない演 奏はありませんでした。
(2001年7月26日)
さて、録音は次のようなものがありました。
Lehmann 1952 (MP3ファイルがあります) Richter 1977 Rilling 1978 Harnoncourt 1980 Herreweghe 1990 Koopman 1997 Suzuki 1999 Gardiner 2000 Leusink 2000
▼フリッツ・レーマンは古いアルヒーフレーベルのLPです。オーケストラはベルリン フィルで、当時の最高のメンバーの演奏のようです。リヒターの演奏を少し素直にし て少し古くさくしたような演奏。歌手たちのポルタメントがいかにも時代を感じさせ ます。演奏時間も28分で、リヒターやリリングよりさらに3分も長い。
▼さて、鈴木雅明氏の解説によると、バッハの自筆譜には第1曲にソロとトゥッティの区 別は記されていないが、このような「前奏曲とフーガ」形式の合唱曲においてフーガ がソロで始まる例は多いということです(ただし、この曲の演奏においては他の理由 から採用していない)。ヘンスラーの楽譜では、フーガの始まりのみ"Solo"と記され ています。ガーディナーの使用楽譜はヘンスラーのものと同じで、フーガ部分のみソ ロで始まります。リリングのように両方ともソロで始める例は他にないようです。
もう一つ、第1曲で楽譜では"Corno"、オーボエI、ヴァイオリンIが同じ旋律を奏す ることになっているのですが、"Corno"が何を指すのかいろいろ問題があるようで す。BCJは例によって島田氏の「復元」による"Corno da tirarsi"(スライドホル ン=島田俊雄楽器博物館のページ参照) を使用していますが、他の録音ではホルンを使用したり一切使用しなかったりです。 リリングもブックレットには書いてありますが、どこで鳴っているのか私には分かり ませんでした。なお、第5曲のアリアははっきりホルンが活躍する曲ですが、ヘレ ヴェッヘはなぜかオーボエ?を使用しているようです。
▼リヒターとリリングを比較すると、リリングの方が自然に音楽そのものの良さが伝 わって来ます。リヒターの第1曲など、あまりに暗く荘厳な感じを決めつけて 演奏しているように聞こえます。すべてを圧してオルガンが鳴り響いたり、どうも 不自然です。最後のコラールも、節の変わり目毎にリタルダンドがかかり、音 楽が素直に流れません。リリング盤では、特にオジェーのアリアが素晴らしい。リヒ ター盤のマティスも格調高い歌唱ですが、オジェーの歌にはさらに深い心の震えまでが表現 されています。
ヘレヴェッヘの演奏も大変素晴らしく、特に合唱はこちらを取りたくなります。シュ リックのアリアも大変共感に満ちたものですが、オジェーにはわずかに及びません。 また、テノールのアリアではホルンに活躍してほしかったところです。
ガーディナーは実演版で、熱のこもった演奏が良いのですが、ソプラノ がちょっとはしたない声を出してしまったり、所々減点があります。
コープマン盤、鈴木盤は肝心のソプラノがもう一つ。このアリアに小細工は通用しま せん。まだ、レーシンク盤のソプラノの方が(所々音程は怪しいが)素直な歌い方で オーボエとの対話が美しく聞こえます。また、櫻田亮は美しい声ですが、よく聞いて みると歌詞が言葉になっていない気がしました。
▼ヘレヴェッヘはこの当時EMIにバッハをいくつか録音していますが、そのうちカンタータが2枚。 最近この2枚をセットにして1枚の値段で売っています。昔、レギュラープライス2枚を、 涙を飲んで買ったので、大変悔しいことです。 (追記、さらに最近になって超廉価盤の2枚組で発売されました。)
(2001年7月28日)