BWV 106「神の時こそ、いと良き時」
バッハの教会カンタータを聞く (1) BWV 106 (ミュールハウゼン1) ▼バッハが本格的に音楽家としての生活を始めたのは、1704年、19の年、アル ンシュタット新教会のオルガニストとしてでした。この時代のバッハは、聖歌隊員と 剣を抜いてやり合ったり、マリア・バルバラ?を教会に連れ込んで怒られたりと、な かなか大活躍ですが、一番有名なのは、当時高名なブクステフーデの音楽を聞くた め、リューベックまで(300km以上を歩いて)旅をし、あげくに無断で休暇を延 長して聖職会議に喚問された事件でしょう。有名なトッカータとフーガニ短調は、こ の音楽体験の結果生まれた作品と言われます。この時代に作曲された教会カンタータ は、確かなものはありません。やがてバッハは、1707年ミュールハウゼン(バッ ハの生涯はほとんどドイツ東部の狭い地域に限られています)の教会オルガニストに 転職。このあたりからカンタータの作曲が始まるようです。 ▼BWV 106「神の時こそいと良き時」は、BWV 131と共にバッハ最初期のカンタータと 言うことです。そうとは知りませんでしたが、実は以前からとても好きな曲でした。 特に冒頭の「ソナティーナ」は2本のリコーダーとビオラ・ダ・ガンバによる、静か な静かな、心にしみるような、頭が空っぽになるような、悲しみとか悩みとかいろん な感情を突き抜けたような、そういう気持ちになれる音楽です。今回、初めてテキス トや解説を読んでみて、これが死者の浄福を描くものだと知りましたが、なるほど、 これが彼岸というものなのか。変な連想ですが、私はこの音楽を聞いていて、どこか 東北あたりの夏の緑の山の、しみ通るぐらい青い空に、ぽっかりと白い雲が浮かんで いて、それが静かに流れている、悲しいくらい澄み切った風景を思い浮かべます。リ コーダーは全曲を通して、効果的に用いられます。というか、この曲の伴奏はこれっ きりの簡素な編成なのです。 この時期のカンタータは、後のような、レシタティーヴォ − アリア − 合唱 (コラール)と言う、オペラ的な展開を見せず、合唱とアリアの繰り返しやからみ合 いのうちに進行していきます。とりわけ印象深いのが、第2曲dにおいて、「死は古 き定め」という、暗〜い合唱フーガが展開していくうちに、ソプラノのソロが「アー メン(然り)、主イエスよ来たり賜え」(ヨハネの黙示録より)と割って入り、一条 の光がさしてくるあたり。対比の効果が鮮やかです。そして、最後第4曲のフーガ、 アーメンコーラスは引き締まった快活なものですが、最後をリコーダーで締めくくる 工夫が、すごく若いというか。バッハの得意顔が思い浮かぶようです。時にバッハ2 2歳。 なお、この曲はバッハの母方の伯父の葬儀のために書かれたと言う話で、この伯父 は、バッハにも少なからぬ遺産を残し、おかげでバッハはマリア・バルバラと無事に 結婚できたそうです。めでたし、めでたし。 ▼これは、かなり人気のある曲で、私の手元にも5種類の録音があります。やはり、 カール・リヒターの演奏は涙なしで聞けないような、思い入れの強いもので、これに 勝る演奏はないと思っていました。しかし、コープマンやレオンハルトの演奏を聞く と、リヒター盤は合唱の響きが厚すぎるのではという疑問も出てきます。合唱フーガ にソプラノのソロが入ってくる場面も、リヒター盤ではソプラノの合唱になっている ので、効果半減です。(そう言う比較なしにじっくり聞くと、やはり感動的な演奏で すが。)レオンハルト盤は少し眠いので、コープマンを取ります。合唱も抜群にうま いし、対比の鮮やかさが分かりやすいからです。(もっとも、レオンハルト盤はヘレ ヴェッヘが合唱指揮をしていて、興味をひかれます。)ガーディナーは分売で買いや すいのは良いのですが、(技術的にはすごいが)これらと比較すると訴えるものが少 ない演奏です。(もっとも、このアルバムは、モテットの演奏がすばらしい。)ラミ ンの演奏は、力強く迫力はありますが、技術的に心もとない点もあり、ポルタメント もふんだんに入っているし、ディープな人向きです。ただ、何か1枚ぐらいは聞くの はプラスになると思うのです。 これらの他に、最初のソナティーナだけですが、ブリュッヘンのリコーダーによる演 奏は最高です。レオンハルトがオルガンを弾いています。 ▼私が聞いた録音
カール・リヒター ARCHIV 1978 国内盤、分売あり ▼ついでに、バッハの年譜を初めて真面目に読んでみて、印象に残ったのは、幼時に 実に多くの死に直面していることです。0歳と1歳の時の兄と姉の死はともかくとし て、6歳の時兄の死、9歳の時母の死、そして10歳の時の父の死は、バッハの人格形成 に大きな影響を与えたのではないでしょうか。もちろん、当時、それは決して珍しい ことではなかったでしょうが、死という問題に正面から(信仰と音楽から)答えよう としたのが、バッハの音楽の生涯にわたる特徴ではなかったかと思います。 (2000年1月22日)
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