BWV131「深き淵よりわれ汝に呼ばわる、主よ」
バッハの教会カンタータ(2)BWV 131(ミュールハウゼン2)
カンタータ第131番《深き淵より われ汝に呼ばわる、主よ》BWV131 ▼昨日はBWV106を聞きましたが、今日は同じくバッハ最初期の作品、BWV131「深 き淵よりわれ汝に呼ばわる、主よ」を聞きます。実際、この二つの作品はどちら が先にできたか分からないようです。また、曲の作りも大変よく似ています。聞 いていて思うのは、実に細かく1行1行の詩の内容に合わせて曲作りをしている と言うことです。逆に言えば、曲想が次々に変化して行き、全体のまとまりとし てどうかと言うことになります。こちらの131の方が、まだ比較的細切れになら ず、全体の姿が見えやすい作品と言えます。106の方は、曲想そのものの魅力が 優れています。 ▼この作品は、バッハ着任の直前に起こった大火への悔い改め!?のために書か れたもので、(当時の人々は災害を神の怒りと受け止め、自らの罪を悔い改めよ うとしたのでしょう)、聖書の詩編130編を歌詞としています。バッハが着任 した聖ブラージウス教会の牧師は、「敬虔主義」と言う派で、あまり凝った音楽 を教会で演奏することを好まない人でした。これは、バッハには大いに不満だっ たようです。一方、もう一つの聖マリア教会の牧師はバッハと意気投合し、バッ ハの娘の名付け親にもなっているほどです。この曲は、聖マリア教会における悔 い改めの礼拝のために書かれました。 そもそも教会カンタータとは、文字通り教会の礼拝において演奏される曲でし た。それにしても、通常20分ぐらい、長いもので40分以上にもなる曲を、よ く礼拝で演奏したものだと思います。これは、礼拝そのものが3時間とか4時間 とか、非常に長かったようです。その中でのカンタータはむしろ退屈しのぎの会 衆サービスではなかったでしょうか。(日本のプロテスタントの礼拝は一般に簡 素なもので、奏楽、賛美歌、お祈り、説教など、1時間あまりのものです。) ▼さて、BWV131ですが、初め聞いたときは、けっこうヘボな曲だと思いました。 構成そのものは、1,3,5曲が合唱(フーガ)。第2曲がバスのアリア+ソプ ラノの合唱、第4曲がテノールのアリア+アルトの合唱、とシンメトリカルで立 派です。ただ、第3曲などヴァイオリンとオーボエの伴奏が変にもつれがちに聞 こえるし、第5曲で、アダージョに続いてアレグロの喜ばしげな合唱が始まるの は良いのだが、何となく田舎芝居のハッピーエンドという風情だし、全体として 楽想に魅力が乏しいし。ということで、3曲ほどまとめて書いてやろうかと思っ ていました。 ところが、けっこう録音が多いもので、ラミン、ヘレヴェッヘ、ガーディナー、 アルノンクールと聞いていくうちに、聞き所や演奏への不満も明らかになり、最 後に聞いたコープマンで、こりゃ良い曲だと納得した次第です。BWV106と比べる と、地味ですが、まとまりが良く、オーボエも合唱も表情も深い。特に第1曲の 下降音を中心にした嘆きの合唱とオーボエのからみ*から、切実な願いのフーガ **に移るあたり。第2曲のバスとソプラノ合唱のからみが罪のおそれとキリスト の贖罪を対比するあたり。そして、第3曲のこの上なく感性豊かな合唱フーガ ***、ここまでは文句なし。4,5曲で部分的にだれたり、曲想ももう一つとい うのが惜しいところですが、締めくくりはきっちりと決まっています。
*ああ主よ、われ深き淵より汝をよべり、 ▼それにしても、ここまでの所、コープマンの良さが目立ちます。曲本来の長所 を非常に素直に美しく表現し、感情の深さも感じさせます。もともと、コープマ ンは、大して期待しておらず、世俗カンタータが良いだろうと思って買ったので す。アルノンクールも、ちょっと表情がきついかなと思いつつ、意外に良い。し かし、第2曲ではソプラノの合唱の代わりにソロで、しかも少年なので、これは 弱いです。ガーディナーは期待はずれ。何しろ元気がない。特に第4曲のテノー ルなど、風呂の中で○をこいているような歌い方で、何が言いたいんや!と怒鳴 りたくなります。ヘレヴェッヘは1,2曲はなかなかきれいです。しかし、第3 曲で伴奏が変にもつれ、さらに最悪なことに編集ミスか雑音か良く分かりません が、急にテノールの変な声が聞こえたりして、わやくちゃです。全体に古風な感 じで、第4曲などリュートの伴奏がつくのは良いが、「マイスタージンガー」の ベックメッサー風になってしまうのは気の毒。 106,131共に鈴木雅明の録音も出ています。一度聞いてみたい気がします。も し、お持ちの方は、ぜひ感想をお寄せください。 ▼ラミンの演奏は、とにかくこわもてのバッハという感じです。オムレツとかグ ラタンとか食べている現代人が、急に古代食を食べさせられるようなもので、逆 に自分のヤワな感性を思い知らされます。今のところ、私にはその良さを評価す ることが出来ませんが、こういう演奏を対極に意識することに意義を感じつつ、 聞き続けたいと思っています。 ▼前回(BWV106)のリヒターの演奏について補足。伴奏は素朴でいい感じ。合唱 は、壮大で神々しく、感動的。ただ、その壮大さが必ずしも曲と合わないという 気が・・
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