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カンタータ第147番《心と口と行いと生きざまもて》

バッハの教会カンタータ (25) BWV147

カンタータ第147番《心と口と行いと生きざまもて》
Herz und Mund und Tat und Leben
1723, 7/ 2 マリアのエリザベト訪問の祝日

▼「ライプチヒ時代に突入」と言っていましたが、前回のBWV22,BWV23は、トマス・ カントル採用試験の作品ですから、バッハ自身はまだケーテン宮廷に奉職の身でし た。これが1723年2月の話で、5月にバッハ一家はライプチヒに移り、その1週間後 の5月30日にはライプチヒ時代最初のカンタータが発表されるのです。こういうや やこしいときに、長大な作品を書き上げてしまう精力には感嘆します。

▼カンタータ第147番《心と口と行いと生きざまもて》は、この年の7月2日に初 演された作品です。と言うより、あの「主よ、人の望みの喜びよ」のコラールで有名 な作品と言った方が早いでしょう。ただし、この作品の原型はすでにワイマール時代 に作曲されていて(BWV147a)、バッハはその歌詞を入れ替え、レシタティー ヴォを新たに書き、例のコラールを挿入して現在の形に仕上げたのです。なお、この 日の礼拝は「マリアのエリザベト訪問の祝日」というので、その時にマリアが神を賛 美した詩が「マニフィカト」です。

▼曲は、2部に分かれ、それぞれの最後を例のコラールがしめくくるという形を取っ ています。実際の上演では、牧師の説教の後に第2部が演奏されたそうです。で、こ の曲の印象を一言で言ってしまうと、「終わりよければすべて良し」。もちろん、そ の他の楽曲も十分に良いのですが、とにかくこのコラールが始まると、ほっとしてし まって、何しろ良かった良かったという気持ちになってしまうのです。

▼有名な曲だけに、演奏もいろいろあって、手元には以下のものがありますが、今回は 次の演奏を中心に聞いてみました(Richter,Werner,Winschermann)。特にご注意。 あのコラールの本物を聞けると期待してこの曲を聞く場合、ガーディナーやアルノン クールなどのピリオド楽器による演奏ではがっかりすること必至です。テンポが中途 半端に速く、変なアクセントがついていて、イメージに全然合わないでしょう。

iconicon アーノンクール2000年ライブ(字幕付きDVD)。これは共感に満ちたすばらしい演奏。ここまで来るとモダンもピリオドもありません。(2009/1/25)

Antal 1992 NAXOS 8.554042
Christophers / Sixteen 1990 Collins 13172
Gardiner 1990 ARCHIV POCA-2512
Harnoncourt 1985 TELDEC
Jones 1957 EMI 5 68752
Jones* 1957 EMI 5 68670
Koopman 1997 ERATO
Leusink 2000 Brilliant
Richter 1961 ARCHIV 439 380
Richter* 1961 DGG 463 008
Rifkin 1985 L'OISEAU-LYRE 455 706
Rilling 1977 Hanssler CD 92.045
Suzuki 1999 BIS CD-1031
Werner 1963 ERATO 3984-28166
Winschermann 1972 PHILIPS 454 346
(*は同じ演奏)

▼全部で10曲からなる、かなり長いカンタータです。SATBすべてのアリアがあり、 ATBはレシタティーヴォもあり、冒頭と、第1部、第2部の終わりは合唱で締めると いう、なかなか多彩な曲です。しかし、私が聞いた限りで文句なしに魅力的と思えた のは、冒頭の合唱、第5曲ソプラノのアリア、それに第6曲と第10曲のコラール (歌詞は違うが音楽は同じ)でした。

冒頭の合唱は、トランペットの活躍する快活な曲で、しかもやかましくもない、大変 気分の良い合唱フーガです。次のレシタティーヴォ(T)も、弦楽合奏を伴って、なか なかしみじみしたものですが、歌詞は説教臭くていただけません。

第3曲のアリア(A)は、オーボエ・ダモーレ(短三度低いA管)の伴奏が雰囲気のあ るものですが、暗くて長い。これにバスのレシタティーヴォが続きますが、「引き下 ろす」「高める」「震える」と言った歌詞に対する音画技法が面白いです。

第5曲のアリア(S)は、独奏ヴァイオリンの美しさが際立っています。もちろん、ソ プラノも美しいし、これはこの曲の中の宝石ですね。

そして第6曲が、ご存じ「主よ、人の望みの喜びよ」のコラール。何度聞いても、 ほっとするような慰められるような、本当にすばらしい曲です。この歌詞がなかな か、結婚式で替え歌を歌うと良さそうなのですね。礒山雅さんの訳から少しだけ引用さ せていただきますと…

○○○をもつ私は幸せ、 おお、何と固く私は、○○○を抱きしめることだろう。 ○○○はこの心を活かしてくださる、 病の時も、悲しいときも。 私には○○○がある、○○○は私を愛し、etc.

○○○には、「イエス」が入るのですが、別の名前を入れると、本当のラブソングで す。

▼さて、説教も終わり、第2部はテノールのアリアで始まります。もう、魂はイエス に甘えきってしまって、「助けて、イエスよ、助けて」とイエスを呼び、「この心が いつも、あなたの愛によって燃え上がるように」とメロメロです。

続くレシタティーヴォ(A)は、2本のオーボエ・ダ・カッチャ(これは、普通のオー ボエとどう違うのかな?)が3度の和音で寄り添うのがなかなか美しく、マリアとエ リザベトの出会い、すなわち胎内のイエスとヨハネ(バプテスマのヨハネ)の出会い を歌っています。そして、次のバスのアリアでは再びトランペットが鳴り響き、冒頭 合唱曲の喜ばしい雰囲気が再現されます。

最後に、もう一度「主よ、人の望みの喜びよ」。ここまで聞いて、やっぱり、「終わ りよければすべて良し」という感想でした。

▼リヒターの演奏は、入手しやすく(国内盤、輸入盤とも廉価版あり)演奏も悪くあ りませんが、むしろウェルナーの演奏の方が良かったかなと思います。こちらも ERATOのULTIMAシリーズでかなり安く出ています。ついでに、NAXOSのも現代楽器の演 奏ですが、十分に楽しめるものでした。

(2001年2月18日)


コラールの演奏時間

▼さて、これは有名な曲だけあって、録音も非常に多くあります。玉澤誠さんの 「バッハCDライブラリ」 には、なんと50種類が登録されていました。ただし、これは重複や、編曲ものも多 く、カンタータそのものの演奏としては10数種類と言うところでしょう。私も、次 の演奏を聞き比べてみました。

ディヌ・リパッティ     1950年  EMI    3.28
ジェレイント・ジョーンズ  1957年  EMI    3.46
カール・リヒター      1961年  ARCHIV   3.31
フリッツ・ヴェルナー    1963年  ERATO   4.05
マリー・クレール・アラン  1982年  ERATO   3.46
ニコラウス・アルノンクール 1985年頃 TELDEC   2.39
ジョシュア・リフキン    1985年  DECCA   2.18
エリオット・ガーディナー  1990年  ARCHIV   2.27
ハリー・クリストファー   1990年  COLLINS  2.47
マティアス・アンタル    1992年  NAXOS   3.23
トン・コープマン      1997年  ERATO   3.14
鈴木雅明          1999年  BIS    3.01

言うまでもなく、リパッティはピアノ編曲、アランはオルガン編曲、その他は全てカ ンタータの演奏です。コラールは2回出てくるので、終曲の方の時間を比較してみま した。リパッティの演奏は、このピアニストの生涯や、風貌を知る者にとっては、涙 なしで聞けないようなものですが、実際にはすっきりとした造形の演奏です。カール ・リヒターと演奏時間がほぼ一致するのも、偶然ではないでしょう。ともかく、アラ ンの演奏までの中では、この二人が最も速いテンポを取っているのです。(余談です が、私の父は、リパッティの演奏を「なんだか、あっさりと終わってしまう」と言っ て、ケンプの演奏を好んでいました。)

ジョーンズの演奏は、流れるように美しく、ロマンチックな解釈の極みです。これと ほぼ同じ線が、アランの演奏。アランを聞いていると、昔ラジオでやっていた、 「ルーテル・アワー」を連想します。当時、「教会」という言葉に抱いていたロマン チックな憧れが、そのまま音楽になっているかのようです。ヴェルナーの演奏は、演 奏時間は最長記録ですが、必ずしもロマンチック一辺倒ではなく、わりとアクセント のはっきりしたものですが、その分中途半端で、ジョーンズの思い切り情緒的な演奏 の方が、説得力があります。やはり、リヒターの新しさ、清新さが心を打ちます。

アルノンクールの演奏が、いかに革新的なものだったか、何しろ、一気に演奏時間を 1分短縮してしまったのです。リフキンはさらにその上を行って、ついでにコーラス の人数も1パート1人に削減してしまいました。省エネ・省資源の極みであります。 ガーディナーも負けていません。この3つの演奏は、確かにこの曲にまとわりついた 夾雑物をすっきり洗い流してしまったという意義がありますが、これがリヒターや ジョーンズの演奏よりも美しく、心を打つかと言えば、それは疑問です。思わず、 「そんなに急いでどこ行くの?」と尋ねたくなります。まだ、この中では、リフキン の演奏が伴奏の音型よりも讃美歌本来の素朴な姿を重視しているようで、史上最速? ながら説得力があります。

これ以後は、速度競争もやんだようです。ハリー・クリストファーとザ・シックス ティーンによる演奏は、同様の演奏ながら、少し落ち着いてきて、歌として聞きやす いものになっています。ナクソスから出ているアンタルの演奏は、ちょっと聞くと2 0年ほどさかのぼったような演奏ですが、それでもリヒターよりは速く、やはり時代 の中にある演奏だと言うことを感じます。

そして、最後にコープマンと鈴木雅明の演奏となります。もはや、極端に速いテンポ は影を潜めます。ここでは、バッハ時代の様式は十分に考慮された上で、そのこと自 体を目的とせず、やはり音楽本来の持つ味わい・美しさを大切にしようという、当た り前のことが、当たり前に実行されているようです。特にコープマンの演奏を聞く と、リヒターにこだわる気持ちが、柔らかく溶かされていくようです。鈴木盤も、コ ラールに重なるトランペットの響きなど、なかなかよい味わいです。

このように聞いていくと、バッハ演奏の移り変わりが浮き彫りになるようで、興味深 いものがあります。リヒターの虚飾を去りバッハの本質に迫ろうとする努力、常識を 打破したアルノンクール、そして、さまざまなバッハ研究の成果の上に立って、より 自由にバッハの音楽の美を歌うコープマンと、バッハ生誕250年の今が、バッハを 聞く上でなかなか幸福な時代であることを実感します。

そんなことを考えながら、最後にもう一度、ディヌ・リパッティの演奏に耳を傾ける としましょう。

(2000年4月29日)


昨日の続きです。とりあえず、リパッティで終わってしまいましたが、何となく心に 残ったのがリフキンの演奏。そこで、今日は、同じ讃美歌の旋律を使った曲を調べて みました。これが、他にもずいぶんあるんですね。

カンタータでは
BWV 55, 146, 154, 174 に、コラールとして出てきます。

マタイ受難曲、第40曲のコラール。(旧全集では第48曲)

単独の4声コラールでは
BWV 359, 360

オルガンコラール(ノイマイスターコラール集=1984年に発見された、バッハの 初期作品)
BWV 1118

最後のものは、讃美歌のテーマを自由に処理したものです。その他のものは、大体、 讃美歌を4声に和声付けしたもので、BWV 147のように、他の旋律は出てきません。 息子に頼んで、一つMIDIファイルを作ってもらいました。 ここでは、30秒過ぎあたりの和声進行が、はっとさせますね。他の曲も、それぞれ和声進行に工夫を凝らして いますが、基本的には同じようなものです。マタイ受難曲中のものが、最も凝ってい るかな、という程度です。

これらを聞くと、BWV 147は、拍子も違い、バッハの創作の度合が大きいと言えます が、コラールという基本の性格は変わらないはずです。ピアノ編曲などで有名にな り、逆にそういうイメージに基づいてカンタータの演奏がなされてきたのかもしれま せん。リフキンの演奏が自然に聞こえるのは、この曲を特別扱いせず、通常の「バッ ハのコラール」として演奏しているからなのでしょう。

ついでに、このリフキンのCDは BWV 147, 80, 8, 140, 51, 78 という有名どころ を収録し、2枚で2000円前後という、なかなかお徳用なアルバムです。(ただ し、時間と人数は節約気味?)

(2000年4月30日)


「主よ人の望みの喜びよ」

このコラールの題名は、一体どこから来ているのでしょうか?

とりあえずマイラ・ヘス(1890-1965, イギリスのピアニスト)の有名な編曲の題名自体が"Jesu, joy of man's desiring"となっているので、日本語訳は英語の直訳に他ならないわけです。 このコラール編曲のドイツ語題名は"Jesus, bleibet meine Freude"で、これは第10曲コラールの歌詞そのままです。なぜこれがそういう英語になったのでしょうか。

いろいろ検索して調べてみると、次のようなことがわかりました。下記のサイトを参照してください。

http://www.cyberhymnal.org/htm/j/e/jesujomd.htm

これによると、この題名の出所はBridgesという詩人の訳によるようです。この訳が英国の讃美歌として親しまれていたのでしょう。

Words: Martin Janus, 1661; translated from German to English by Robert S. Bridges (1844-1930).

ヤーンの歌詞は次のようなものです。(初めの方だけ)

Jesu, meiner Seelen Wonne,
Jesu, meine beste Lust,
Jesu, meine Freudensonne,
Jesu, dir ist ja bewusst,

ところが、Bridgesの方はかなり違います

Jesu, joy of man’s desiring,
Holy wisdom, love most bright;
Drawn by Thee, our souls aspiring
Soar to uncreated light.

Word of God, our flesh that fashioned,
With the fire of life impassioned,
Striving still to truth unknown,
Soaring, dying round Thy throne.

ヤーンの歌詞自体、何番まであったのか知りませんが、Bridgesの訳詞は、かなり自由なものではないかと想像されます。 "Lust"の訳語としては"pleasure, delight"の他に"desire"もあるので、詩人としての想像力による作詞だったのかも知れません。

なお、ある方のご指摘を受けて、初めて原文も訳詞もきれいに脚韻を踏んでいるということに気づいたのはうかつなことでした。 (つまり、"desiring"という訳語は脚韻との関係で導き出されたのかも知れないと言うことです。)

(2001年9月10日)

英語版の演奏

実際に英語の"Jesu, joy of man's desiring"を歌っている録音がWEBで公開されていました。 →Columbia History of Music by Eye and Ear (D.B. 507/II/part 15)
これはSPレコードを再生したもので、録音は1931年だと言うことです。結局、実際に「歌える」ことが第一で、そのためにかなり自由な意訳になっていると言うことなのですね。

(2004年4月29日)

上記のサイトが現在検索できないようですので、「古いカンタータ録音を聴く」のページに音源を載せておきます。→Jesus, joy of man's desiring

(2007年10月22日)

藤澤ノリマサの「Prayer」

バッハのメロディがポップスソングになるのは珍しいことではありませんが、 先日発売された藤澤ノリマサの「Prayer」では、「主よ人の望みの喜びよ」のオブリガートがそのままサビのメロディになっています。 今風ですが、なかなか良い歌ですね。こんな風にバッハを聞くのも、悪くはないと思いました。やはりこのメロディは素晴らしい。
歌手についての詳細は公式ウェブサイトをご覧下さい。また、試聴・ダウンロード(有料)もできますが、ピアノの弾き語りバージョンもあり、それもしっとりしていて良かったです。
→mora win 藤澤ノリマサ「Prayer」を試聴・ダウンロード
(2009年4月30日)

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2009-01-25更新
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