カンタータ第152番《出で立て、信仰の道に》バッハの教会カンタータ(20) BWV152 (ワイマール時代15)
カンタータ第152番《出で立て、信仰の道に》BWV152 このカンタータについては、過去に書いた文章を後半に載せ、この文章は現在(つま りHP更新にあたって)書いています。どうもあの頃は、慢性の睡眠不足だったよう で、しきりに眠いを連発しています。今聞いてみると、おだやかではあるが、決して 眠い曲ではありません。全体に、対位法(特にカノン的な部分)の妙(というか、 掛け合いの楽しさ)をつくしたもので、それがレシタティーヴォにまで貫かれていま す(特に、第3曲のアリオーソ)。 また、リコーダー、オーボエ、ヴィオラ・ダモーレそして通奏低音、それぞれの楽器 の使い方とその組み合わせがこの作品の大きな魅力になっています。第2曲のオーボ エも、今聞くと実に魅力的に聞こえるのです(特にギュンター・パッシンのような名 手が吹くと)。オーボエとバスの対話が、スリリングとさえ言えます。また、第4曲 でリコーダーとヴィオラ・ダモーレが時に語らい、時に寄り添う魅力、第6曲では3 つの楽器がユニゾンで奏するという、曲ごとの工夫が出色です。その他、音画技法 とか、ユニゾンやカノンの意味付けとかいろいろ面白い問題があるようです。 歌詞については、「隅のかしら石」とか「つまずきの石」というキリスト教の教えが テーマになっています。ちょっと分かりにくいですが、要するにキリストの降誕を地 上に置かれた石に喩えて、それに依り頼む者にとっては動かぬ基礎となるが、逆に信 仰の無い者はそれにつまずくというような意味でしょう。石につまずかずに「信仰の 道を歩め」ということです。 まず第2曲で、その基本テーマが歌われた後、第3曲ではつまずく者と依り頼む者の 違いが述べられ、第4曲で「石」への讃美と信仰が歌われるというわけです。さら に、第5曲では人智の愚かさを、盲人が盲人の手引きをするという有名な聖書の喩え になぞらえ、第6曲では魂とイエスの対話によって、苦しみを経て喜びに入る道が示 されるのです。 過去の文章には、けっこう罰当たりでアホなことが書いてありますが、まあ、その時 はそう感じたのだからしかたがないでしょう。ただし、魂とイエスの対話がソプラノ とバスのデュエットで表現されるというのは、今でもやはり「男女の語らい」という イメージを感じずにおれません。逆に、キリスト教自体にも、「雅歌」のような恋愛 詩を神と人の関係になぞらえるような考え方があるので、バッハの表現はそれに沿っ たものだと言えるのでしょう。 その後聞いた演奏をあげますと、まず、リリングの演奏。これは、ギュンター・パッ シンのオーボエと、オジェーのソプラノがとりわけ魅力的です。ただし、第6曲で、 舞曲風リズムの面白さがあまり出ていません。リチェルカーレ・コンソートの演奏は そのあたりが良く出ていて、バスのエグモントの軽やかで、かつ正確な歌唱は最高で す。オーボエは、鈴木盤と同じマルセル・ポンセールが吹いていました。また、何か と悪く言われることの多いレーシンク盤ですが、この曲に関しては、絶妙とまでは行 かなくても、なかなか生き生きした演奏を聞かせていました。ホルトンのソプラノも 魅力的です。 過去に聞いた演奏も、もう一度聞くと、特に鈴木盤は各声部のやりとりが非常に緊密 で、素晴らしい演奏でした。また、アルノンクールの少年ソプラノも他にない魅力が あります。(以上2002年1月4日執筆分)
前にも書きましたが、何回聞いてもピンとこない曲というものがあるもので、この曲 も真夏のウニ状態の頃から何回聞いたか分からないのに、さて何を書けばよいのか・ ・・ ともかく、これは1714年12月30日、クリスマス後の日曜日に演奏されたものです。そ れなら、もう少しお祭り的でも良いかと思うのに、かなり辛気くさいですね。(曲も 歌詞も) ▼第1曲はシンフォニアで、これはまあまあですね。目玉はヴィオラ・ダモーレとい う珍しい楽器が使われている点。これにリコーダー、オーボエ、ガンバが加わって フーガを演奏するというのはなかなかよろしい、少し眠いですが。 2曲目のアリア(B)は、信仰の道を歩めとか何とか説教臭い歌を歌います。オーボエ のオブリガートはまあ美しいが、印象的とまでは言えません。 3曲目のレシタティーヴォ(B)は、感動的とか美しいとかそう言うものではありませ んが、いわゆる「音画」の効果を使った曲で、そう言う点は面白いです。「落ちる」 とか「走る」という言葉に対応して、バスがいっぺんに10度下がったり、チェロが 音階を駆け上がったり。 4曲目はソプラノのアリアで、これもリコーダーとヴィオラ・ダモーレが眠たく美し い。5曲目のレシタティーヴォも「神のなさることは人智では計りがたい」とか、そ れこそわけの分からんことを言ってます。その割に、音楽は変化があって少し面白い ですが。 6曲目はソプラノとバスのデュエット。魂とイエスの対話という趣向になっていま す。(BWV21と同じ趣向)6拍子のゆったりしたリズムが心地よく、また眠たくなって きた。でも、この趣向はどうしても男女の愛の語らいという雰囲気になってしまいま す。勝手な訳をすれば、「どうしたらあなたを抱けるの?愛する人よ」とか、「私を 連れてって、愛する人よ。どこまでもついていくわ」てな歌詞も出てきます。ボーイ ソプラノだと、こういう勝手な想像も防げますけれどね。 この曲は、終わりのコラールはありません。 ▼と言うわけで、全体にゆったりしたおだやかな美しさが支配している曲でしたが、 迫力には乏しい。眠くなる・・・ 演奏は、アーノンクール、コープマン、鈴木雅明という定番の他に、ジェフリー・ トーマス指揮アメリカン・バッハ・ソロイスツなんていうのもあります。アーノン クールが良いとは思いますが、ボーイソプラノはキンキンしてそれほどうまくないの ですね。鈴木雅明さんのは5曲も入っていてお徳用です。ソプラノもずっとスムーズ です。 (2000年10月7日執筆)
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