カンタータ第132番《道を備え、大路を備えよ》BWV132


バッハの教会カンタータ(19) BWV 132 (ワイマール時代14)

カンタータ第132番《道を備え、大路を備えよ》

Bereitet die Wege, bereitet die Bahn
1715,12/22 待降節第4日曜日

カンタータ第132番《道を備え、大路を備えよ》は、1715年12月22日(待降節第4日曜 日)に演奏された曲です。前回の63番のほぼ1年後のことです。

▼第1曲、ソプラノのアリア。柔らかく明るいオーボエと弦の前奏、シチリアーノの リズム。こういうのは好きだな。歌詞は、メサイア3曲目のテノールアリアと同様の もの。「主の道を備え、そのみちすじを直くせよ」という聖書の言葉から来ているの ですが、それを「信仰と命の道を直くせよ」とアレンジするところが、ちょっとクサ い。でも、いかにもこれからクリスマスを迎えるという希望に満ちた音楽です。

第2曲、テノールのレシタティーヴォ。これも、歌詞が説教臭くて全然面白くない。 「神の子と呼ばれたければ、心と口をもって、救い主への信仰を告白しなさい 云々」。曲まで、最初はそれにつられたように、常識的に淡々と進みますが、2分過 ぎから、これではいかんとばかり大胆な転調が起こり、通奏低音も動き出します。

第3曲、バスのアリアは、チェロのオブリガートがなかなか魅力的です。内容は、人 間に対する厳しい断罪の歌詞ですが。なお、リヒター盤ではオブリガートチェロがあ まり明確に聞こえず、ちょっと魅力減です。

第4曲、アルトのレシタティーヴォから第5曲アリアへ移っていく部分は、まさにこ の曲のクライマックスです。このアリアでヴァイオリンの奏するオブリガートは、そ れだけ聞いても実に美しいものです。しかし、レシタティーヴォをしっかり聞いた余 韻の中に、しっとりとしたヴァイオリンが鳴り始めるのは一段と感動的で、まさに心 の琴線に触れるものです。
つまり、レシタティーヴォは自分が神に背き、約束を違えてきた罪深さを嘆き、 "Mein Gott, erbarme dich" と神にすがる*。いわばそのような絶望の淵とも言うべ き気分が厳粛に表現された後に、ヴァイオリンが優しく静かに鳴り始める。これは、 信者でなくとも救いというものを実感できるような気になります。また、こういう表 現においては、やっぱりリヒターですねえ。

そして、こういう展開をたどった後のコラールほど心にしみるものはありません。63 番のように華やかな合唱曲で曲を閉じるのも悪くはありませんが、やはりこういう しっとり節の後は、コラールで締めくくらないとね。

*同名のアリアはマタイ受難曲中、最も有名なアリアの一つですね。このアリアも、 オブリガートヴァイオリンが泣かせます。

▼リヒターの演奏とレオンハルトの演奏。どちらを取るか迷うところです。個々の曲 の出来では、レオンハルトを取りたいところもあるのですが(第1曲、第3曲、第5 曲。特に、第1曲のボーイソプラノはすばらしい)、やっぱり全体としてのまとま り、感情の深さにおいてリヒターです。この曲で、リヒターのカンタータ選集の1枚 目は全部聞いたことになります。(61番、132番、63番)

なお、オブリガートチェロは、レオンハルト盤ではおそらくビルスマ。コープマン盤 ではヤープ・テル・リンデン、鈴木盤では鈴木秀美。(すごい顔ぶれですねえ。) ヴァイオリンはリヒター盤ではオットー・ビュヒナー(これはうまいはずだ)、レオ ンハルト盤ではよく分からないのですが、マリー・レオンハルトかルシ・ファン・ ダールあたりです。(こちらの演奏もうまい)

(2000年9月24日執筆)


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