カンタータ第163番《各々に各々のものを》


バッハの教会カンタータ(15)BWV163(ワイマール時代10)

カンタータ第163番《各々に各々のものを》BWV163
Nur jedem das Seine
1715,11/24 三位一体節後第23日曜日

1715年の8月1日、バッハの主君ワイマール公の甥であるヨハン・エルンスト公子が ついに病没し*、この服喪期間、カンタータの演奏は休止されました。この曲は、公 子の服喪が明けた直後に演奏されたものです。福音書の聖句「神のものは神に、カエ サルのものはカエサルに」をテーマとしていますが、公子が神のもとに帰ったという 意味でもあるのでしょうか。

*エルンスト公子のことは、BWV 18 & 199の項とBWV 21の項に少し書いています。楽 才に優れ、バッハにも学びましたが、わずか18歳で病没したのです。なお、独奏用の 「協奏曲」BWV592,595(オルガン協奏曲)982,983,987(チェンバロ協奏曲)は公子 の作品をバッハが編曲したものです。

▼これは、1.アリア(T) 2.レシタティーヴォ(B) 3.アリア(B) 4.レシタティーヴォ (S,A) 5.アリア(S,A) 6.コラールという小規模な作品ですが、それぞれの曲に特徴が あり、退屈しません。

1曲目は、リズムに特徴のある弦楽合奏にのって、テノールがなかなか緊迫感のある アリアを歌います。次のレシタティーヴォは特にどうということはありませんが、3 曲目のアリアは低域に音が集中した弦楽合奏が独特の魅力。2台のチェロの音色がこ たえられません。

雰囲気はがらっと変わり、ソプラノとアルトがお互いを模倣しあいながら展開するレ シタティーヴォとアリアが続きます。このレシタティーヴォは技巧的に充実したもの です。次のアリアはこの曲中最も魅力のある部分です。3拍子のゆったりとした天上 的雰囲気を持つデュエットに、弦楽がコラールの旋律を奏して割って入り、天上と地 上が結びつけられるかのようです。最後のコラールは例によってあっさりしたもので すが、コラールの善し悪しは、そこに至るまでの展開と関連が深い。マタイ受難曲の コラールなど、それ自体は単純なものでも、実に絶妙な入り方をしています。

▼あまり関係ないのですが、ちょっとしたエピソード。アリアに入ってくるコラール の旋律は、(他のカンタータにもよく出てくる)「わがイエスをば、われは放さず」 というものです。ちょうど今朝コラールばかり集めたCDを聞いていて、このコラー ル編曲を何種類か聞いて覚えたばかりだったのです。朝覚えたメロディーの応用編を 夕方に聞くとは、なかなかご縁があるようです。

▼演奏は、やはりアルノンクール盤がすばらしい出来です。合奏に緊迫感があり、 バッハの音楽のメッセージが生かされるという気がします。テノールのクルト・エ クィルツ、バスのロベルト・ホルそれぞれに文句のつけようがありません。しかし、 なんと言っても、ソプラノとアルトの少年がこの演奏の特徴を作っています。ソプラ ノはちょっと音程が不安定ですが、アルトのうまさに驚きます。結果として、ソプラ ノの不安定さをアルトがフォローしている感じで、それぞれの良さが出ています。少 年はもう一つという感覚があったのですが、そのあたり最近ちょっと変わってきまし た。鈴木雅明の演奏も、この曲の場合、それほど劣らないと思いましたが、やはり少 年のデュエットは強烈でした。

(2000年7月22日執筆)


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