カンタータ第22番《イエス十二弟子を召寄せて》
バッハの教会カンタータ(23) さて、ワイマール時代を終わって、バッハは次にケーテンの宮廷に移るわけですが、 ここでは教会カンタータを作曲していません。ケーテン時代には、妻マリア・バ ルバラの死、そしてアンナ・マグダレーナとの再婚という、バッハの人生にとっ て大変大きな出来事がありました。ともかくバッハは1717年末にケーテンに 移り、1723年にはライプチヒのトーマス・カントルに就任することになりま す。 カンタータ第22番《イエス十二弟子を召寄せて》とカンタータ第23番《汝まことの神 にしてダビデの子よ》は、このトーマス・カントル採用試験の課題作品として作曲さ れたものです。 ▼この曲は、《見よ、われらエルサレムにのぼる》BWV159と同様に、イエスが受 難を予告しながら、「見よわれらエルサレムへ上る」と弟子たちに語るという聖 書の場面(ルカ18,31-34)を題材にしたものです。ただしBWV159とは違い、全体 としては、劇的と言うより主情的であり、十字架に対する信仰の想いが様々に述 べられています。 ▼第1曲は、受難曲などと同様、テノールが福音史家、バスがイエス、コーラスが弟 子たちの役割を演じます。イエスは、エルサレムに上り預言(つまりキリストの受 難)が実現されるべきことを述べますが、弟子たちはこれを理解せずあれこれ言い合 うと言った情景が描き出されています。オーボエのオブリガートを伴った合奏は、イ エスの受難に向かう歩みと、それを見守る信者の嘆きを表すかのようです。 オーボエのオブリガートは第2曲のアリア(A)に引き継がれ、十字架による救いへの 切実な想いが歌われます。ちょっと聞くと平凡な気もしますが、何度も聞くと味わい が増す、慰めに満ちた曲です。 3曲目のレシタティーヴォ(B)は、この作品の山。ただし、歌詞は難解です。聖書に (マタイ17,1-9etc.)イエスが山上で変容し光に包まれたという場面があるのです が、その時弟子たちはこの栄光の記念に山上に小屋を立てようと言います。ところ が、イエスがゴルゴタの丘で十字架の恥辱にあるとき、弟子たちは全て逃げ去ってし まった。そのような心をこそまず十字架に架けようと言ったことが語られておりま す。 わずか2分ほどのレシタティーヴォですが、とにかく内容が濃いですね。歌詞の1行 目から、"laufen"(走る)のところで、さっそくコロラトゥーラの速いパッセージが現 れ(この辺は、課題作品としての点数稼ぎもあるか?)、以後曲調は二転三転し、最 後に力強くしめくくられます。 4曲目のアリア(T)に至って、軽やかな喜びが出てきます。大体、このあたりがバッ ハのカンタータの定番的な筋書きですが、それでこそ安心して音楽を楽しめるという ものです。 最後のコラールは、例の「主よ人の望みの喜びよ」と同様の技法で、オブリガート主 題の間を縫って本来の讃美歌が歌われるというもの。こっちがピアノ編曲とかされて いたら、案外有名になったかも。 ▼と言うような具合で、なかなかのものでした。もっとも、そうでなければ試験に落 とされてしまいます。 演奏は、レオンハルト(Teldec)、コープマン(Erato)、鈴木(BIS)、Leusink(発音が 分からない。Brilliant)他にRillingがあり、コラールだけの演奏では、最近発売さ れたキングス・カレッジ合唱団のもの(指揮Cleobury。EMI)があります。 やはりすばらしいのはレオンハルト盤。とにかく、きっちりがっちり音楽を作ってい ます。歌手も文句なし。意外によかったのが Leusink盤。全体にそんなに上手でもな いのに、すごく曲の感じが出ているのです。この全集は、前にも書いたように、かな りやっつけ仕事で作り上げているようですが、それでも時々心を打つ演奏が見つかる のです。まあ、宝探しみたいなものです。 一番入手しやすいのは、鈴木盤で、BWV22,BWV23の他にBWV75(トーマス・カントル第 1作)とカップリングも良く、演奏も全体に良いのですが、個人的な好みでは米良美 一のアルトとペーター・コーイのバスが気に入りません。 キングス・カレッジ合唱団のコラールは、ちょっとセンチメンタルなきらいもありま すが、とにかく美しく聞きやすい演奏で、「主よ人の望みの喜びよ」に迫りそうな勢 いでした。オーケストラの代わりにオルガン伴奏でやっています。 ▼次回は、これと同じ日に演奏されたと考えられているカンタータ第23番《汝まこと の神にしてダビデの子よ》を。 (2000年11月13日執筆)
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