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カンタータ第95番《キリストこそ わが生命》

バッハの教会カンタータ(50) BWV95

カンタータ第95番《キリストこそ わが生命》
Christus, der ist mein Leben
1723, 9/12 三位一体節後第16日曜日

この日の礼拝で使用された福音書(ルカ7, 11-17)は、「ナインの若者の甦り」という箇所です。 母一人子一人の息子の方が亡くなり、嘆き悲しむ母を哀れに思ったイエスが、 棺に手を触れて「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われると、若者は甦ってものを言い始め、人々は神を賛美したというのです。

この話は、奇跡の有無は別にして心情的に理解しやすい話です。 理解しにくいのは、なぜその日のカンタータが「喜びをもって死におもむく」ことになってしまうのかと言うことです。 もともとの聖書の記事は死を喜ぶのではなくて、若者が生き返ったことを喜ぶ話なのです。

結局、歌詞を読んでいくと、最後の2曲で、死は一時的な眠りに過ぎず、キリストの救いにより復活するのだという確信が述べられて、 一応ナインの若者の復活の話と重なるのですが、どうもこじつけのような気がします。音楽全体としては、ひたすら死を美しく描くことに力が注がれているのです。

▼そういう理屈は別にして、このカンタータはほとんどコラールそのものを歌いながら、通常のアリアや合唱曲以上の効果を上げているという、大変珍しい曲です。 まず第1曲は二つのコラール合唱がテノールのレシタティーヴォを挟み込むという構成です。

冒頭から、オーボエ・ダモーレとヴァイオリンが鳴り交わすシンコペーションリズムのリトルネッロは、 演奏によりますが、「浮き立つような喜び」または「しみじみとした喜び」を感じさせます。それでいて、コラールは「喜びをもって死におもむく」と歌うのです。 さすがに、「死(Sterben)」という単語だけは、ひそやかに("p"の指定で)不協和音で歌われますが、すぐに喜ばしい調子に戻ります。

次のテノールのレシタティーヴォは、音楽的には最初のコラール部分の続きで、ヴァイオリンパートに現れた16分音符の部分が変化したものと言えます。 シンコペーションのリズムも、なお保たれます。しかし、やがて死への心構えを試すように、何度も立ち止まりつつ、また最初のシンコペーションが繰り返され、 ついに心に一点の迷いもないことを確かめて、もう一つのコラールへ移行します。

音楽は流れるようなアレグロに変わり、今までコラールを補強するだけだった"corno"が活発に動き始めます。また、コラールを綾どるヴァイオリンもひときわ印象的です。 このコラールでも"sanft und stille"(やさしく静かに)の部分だけは、"p"で歌われ、いったん音楽が止まり、また動き出すのは最初のコラールと同様です。

第2曲レシタティーヴォ(S)を経て、第3曲コラールはソプラノソロによって歌われ、オーボエ・ダモーレが慰めに満ちたオブリガートを奏でます。 これによって、このコラールはアリアに劣らない演奏効果を持つ曲となっています。

さらに第4曲レシタティーヴォ(T)に続いて、第5曲アリア(T)はこのカンタータ唯一のアリアです。ここでも、2本のオーボエ・ダモーレの奏するオブリガートが印象的ですが、 それ以上に、弦のピツィカートの8分音符と16分音符が弔いの鐘を表して、終止鳴り続けるのがポイントです。ただし、第1ヴァイオリンの16分音符は、弔いの鐘と言うよりはむしろ時計のチクタク音を表すのかも知れません。 いずれにせよ、そのようにして死の時が迫ってくるということなのでしょう。

▼ここまでで、音楽的に特に興味のある部分は大体終わるのですが、続く第6曲レシタティーヴォ(B)がテキストの意味上、重要な部分であるのは前述の通りです。その意味を、今までの甘い死の喜びの雰囲気を損なわずに、 かつ十全に表現するのは、なかなかむずかしいことで、歌手の力量が特に問われる部分です。

最後のコラールに至って、キリストの復活ゆえに、自分もまた死後に復活と永遠の命を受けることを確信し、 それゆえ、「喜びをもって死におもむく」ことが歌われて、全曲がしめくくられます。すべての独奏楽器はコラールの旋律を補強しますが、唯一第1ヴァイオリンが天上の声を表すようなオブリガートを奏します。 このヴァイオリンの役割は、すでに第1曲の後の方のコラールにおいて与えられているものです。

このように、このカンタータにおいては、4つのコラールがレシタティーヴォやアリアと組み合わされ、実に変化に富んだ作品となっています。とりわけ、2本のオーボエ・ダモーレが終始音楽を彩っているのに耳を惹かれます。

▼この曲の演奏はカンタータ録音一覧(BWV順)に6種類の録音をあげています。 このうち、コープマンとリリングの演奏が、全く傾向は違うものの甲乙付けがたい名演と感じました。(「浮き立つような喜び」「しみじみとした喜び」がそれぞれに当てはまるでしょう)。6つの演奏については、さらに詳述する予定です。

(2003年6月16日)


私が聞くことができたのは、次の6種類の演奏です。

	Ramin		1952  EDEL  
	Rilling		1978  Hänssler  
	Harnoncourt	1979  TELDEC
	Koopman		1997  ERATO
	Suzuki		1998  BIS
	Leusink		2000  Brilliant

最初の二つが、従来スタイルの演奏、残りが歴史指向の演奏ですが、特に冒頭部分は全く違う曲のように聞こえます。

▼ここはやはり、コープマンや鈴木雅明の適度にリズムを生かした軽やかな演奏が、最も音楽の魅力を引き出していると思います。 この二つの演奏は、基本的な解釈がよく似ており、器楽も合唱も非常にうまいのですが、ソロ歌手で少し差がついています。まず、最も重要なテノールは、コープマン盤のテュルクが、非常に安定した、かつニュアンスの豊かな歌唱で、感動的です。 鈴木盤の桜田亮にはかなり不満があります。例えば、1曲目ソロの入りは大変なスピードで、良くこんなに歌えるなと感心するのですが、逆にそればかりが表面に出て、音楽の美しさやニュアンスは消えてしまいます。また、高いGの音などでは、 声を張り上げてしまって、他の部分との音楽的なつながりが無くなります。語尾をあわてて発音するくせがあるようで、"bringen", "singen"を、なぜこんなにあわててはしょって発音するのか分かりません。要するに、聞いていて落ち着きが無く居心地が悪いのです。 ソプラノはコープマン盤のラーションも悪くありませんが、鈴木盤の栗田美登里の真っ正面を向いた歌い方が立派でした。バスはコープマン盤のメルテンスが落ち着いた歌唱で歌詞のメッセージを感じられます。鈴木盤のコーイは余り調子が良くなかったようです。

その他、テンポの取り方も、私にはコープマンの方が自然に感じられ、第1曲のレシタティーヴォで、緊張と弛緩の繰り返しの末に第2のコラールに移っていく部分なども、鈴木盤ではやや機械的に演奏されているように感じ、コープマンの演奏の方が感情移入が容易でした。 合唱も、わずかな差ですが、コープマン盤の柔軟さ自然さに一日の長があります。

なお、1曲目と7曲目に出てくる"corno"の扱いですが、コープマンは(アルノンクールも)コルネットを使用しています。クリストフ・ヴォルフの解説にも、コルネットを使用するように書いてありました。 (全く個人的な感想としては、ホルンの方がかっこいいと思うのですが)

レーシンクの演奏も、基本的にはよく似ていますが、合唱もソリストもかなり落ちます。とは言え、音楽が損なわれてしまうことはありません。 逆に、アルノンクール盤は演奏家達の水準はかなり高いのですが、独特の解釈によって音楽が台無しです。細切れの音、異常に速いテンポ。名テノールのエクィルツまで、この解釈に忠実につきあって、細切れの、歌とは言えないものを披露しています。 テルデックの全集だけでカンタータを聞いている人は、少なくともこのカンタータだけは他の演奏を聞いてから評価してやらないと、曲がかわいそうです。

▼これらの演奏を聞いた後で、リリングやラミンの演奏を聞くと、響きの厚いレガートの出だしから、まるで別の音楽のように聞こえます。解釈としては、コープマンや鈴木雅明の方を支持したいのですが、しかし、これはこれで、魅力的な演奏です。 特にリリングの演奏は、とにかくすべてにバランスの取れた、十全な演奏という他ありません。第1曲のレシタティーヴォの緊張と弛緩の表現は、最も納得できるものでした。2つ目のコラールでホルンが入るところの(このホルンもうまい)、通奏低音のチェロの動きの面白さも、この演奏で気がつきました。 オーボエ・ダモーレのギュンター・パッシンの音色は深く胸にしみる印象的なものです。テノールのアリアで、2本のオーボエ・ダモーレがエコーを交わすところがありますが、他の演奏では2本のオーボエにそれほど音色の違いが感じられないのに、この演奏では違いが際だって聞こえます。 ソロ歌手では、アダルベルト・クラウスはいつもの通りの、落ち着いた美しい歌唱、アーリン・オージェの歌うコラールは特に立派です。このような名手たちを、リリングがしっかりとまとめています。

ラミンの演奏は、さらに遅いテンポ、さらに分厚い響き、テノール歌手のオペラのような歌い方等々、ちょっと勘弁してほしいところがいろいろありましたが、少年合唱の熱っぽい迫力と、ドイツ語の力のようなものを感じました。特に、最後のコラールをヴァイオリンが高く引き上げるところには、高貴な美しさを感じました。

結論としては、コープマンとリリングが、全く違う傾向の名演と言えるでしょう。鈴木雅明の演奏はほとんど遜色ありません。

(2003年6月22日)

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2003-06-22更新
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