カンタータ第12番《泣き、歎き、憂い、怯え》バッハの教会カンタータ(10) BWV12 (ワイマール時代5)
カンタータ第12番《泣き、歎き、憂い、怯え》BWV12 今度の日曜日はイースター、昨日は受難の金曜日です。BWV 12 「泣き、歎き、憂い、怯え」は、1714年 4月22日、復活節後第3日曜日に初演さ れた作品で、ワイマール宮廷楽師長就任第2作ということになります。バッハ のカンタータは、どうもこういう感じのものが、分かりやすくて私は好きです。 ▼曲はやはり、オーボエの印象的な、悲嘆のシンフォニアから始まります。本当 に、このシンフォニアはバッハ以外の何ものでもないという曲で、単独でも良く 演奏されるもののようです。(私の手元にも、このシンフォニアだけを演奏した CDが2枚あります)BWV21のシンフォニアなどと並ぶ傑作と言えるでしょう。 さて、第2曲の合唱が、何と言ってもこの曲の目玉です。「泣き、歎き、憂い、 怯え」("Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen")と、類語を畳みかけるように歌う歌 詞も良いが、これがなんと、ミサ曲ロ短調の「十字架に架けられ」("Crucifix") と同じ曲なのです。正確に言うと、この曲がミサ曲ロ短調に転用されたのでし た。これは「不協和音」の美の極致のような曲です。また、A-B-Aの形式で、Aの 部分がシャコンヌの形式をとっています。これがまた、畳みかける効果を作り出 して、歌詞を最大限に生かしていると思いました。 以上の2曲で思う存分泣いて、3曲目、アルトのレシタティーヴォでは、試練を くぐり抜けて神の国に入るのだという決意が述べられます。4曲目、アルトのア リアでは再びオーボエが活躍し、キリストの十字架が回顧されますが、嘆きはこ こで終わり。第5曲、バスのアリアは堂々たるカノンの合奏をバックに、キリ ストの足跡に従って(カノン=従うという意味を表すそうです。)行く決意が歌 われ、もはや感傷はみじんも残っていません。 第6曲、テノールのアリアと、最後のコラールでは、トランペットが信仰の勝利 を奏で、これが最高に良い気分です。ちょっと飛躍した連想ですが、このトラン ペットと比べられる印象的なものとして、オネゲルの交響曲3番の終楽章を思い 出しました。アリアの方では、オルガンの活躍も聞き逃せません。非常に技巧的 なアリアと、単純直截なコラールの対比が見事です。 このように、曲全体を通して、はっきりとした物語があり、大変分かりやすく、 かつ音楽的に充実した傑作であると思いました。 ▼演奏は、カール・リヒターの指揮で、アンナ・レイノルズ、ペーター・シュラ イヤー、テオ・アダムが歌っているものが、やはり格段に説得力があります。特 にシャコンヌの迫力は恐ろしいほどです。初めてこの演奏のシャコンヌを聞いた ときは、心が千々に乱れて、とても平静に聞くことができませんでした。アンナ ・レイノルズのレシタティーボも、神々しいばかり。シュライヤー、アダムも 堂々としたものです。 コープマンの演奏には、リヒターのような深い宗教性は感じられませんが、その 代わり、あふれるほどの音楽の喜びがあります。アルト(カウンターテナー)の カイ・ヴェッセルの歌唱は?ですが、バスのクラウス・メルテンスは柔らかい歌 唱で、好感度抜群。テノールのプレガルディエンは幅のある、熱のこもった歌唱 で、これはシュライヤーをはるかに越えています。合唱も相変わらず抜群にうま い。うまいだけでなく、自発的に音楽を作っていく姿勢がひしひしと伝わってき ます。 鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏は、大変形の整った演奏と思い ます。どこが悪いという点はありませんが、残念ながら、私には、上の二つの演 奏に感じたような熱い思いが伝わって来ません。 この他に、ギュンター・ラミン指揮のライプチヒ・トーマス教会合唱団という、 歴史的な演奏があります。ここには、リヒターほどの凝縮した表現はありません が、ゆったりと「自分たちの音楽」バッハを演奏する、現代では求められない演 奏です。(あと、レオンハルトの演奏もありますが、まだ聞いていません。) 最新盤で、まだ入手していないのですが、コンラート・ユングヘーネル指揮のカ ントゥス・ケルンの演奏(ハルモニア・ムンディ)が、ずいぶんあちこちで推奨 されているようです。ジョシュア・リフキン式で、各パート1人の合唱だと言う ことです。 ▼この曲は、同じくバッハ初期の傑作であるBWV 21と共通の雰囲気を持ち、作り はずっとコンパクトで聞きやすいものです。ぜひ一度聞いてみて下さい。 (2000年4月22日執筆)
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