BWV21「わがうちに憂いは満ちぬ」バッハの教会カンタータ(7) BWV21 (ワイマール時代2)
カンタータ第21番《わがうちに憂いは満ちぬ》BWV21 この曲はアルフレッド・デュル(バッハ研究の元締めみたいな人)によっ て、「バッハ青年期カンタータの中で最も壮大な例であり、同時にその時期への 決別ともなったもの」と評されています。演奏時間も約40分というもので、も しバッハのカンタータがすべてこのようなものであったなら、とうてい200曲 を全て聞こうと言う気にはなれないでしょう。 曲の初演は、1714年6月17日で、この日の礼拝はヨハン・エルンスト公子が病気 療養のために旅立つ、別れの機会でもあったそうです(翌年逝去)。つまり、 バッハのワイマール宮廷楽師長就任以後と言うことになるわけですが、実際には その前年から、何度か演奏され、規模を拡大していったことが分かっています。 ▼バッハの教会カンタータのよくあるパターンは、まず最初に、悩み、苦しみ、 恐れおののく人間の姿が描かれ、これに対して、キリストの救いと慰めが示され る、そして最後は信仰の勝利が高らかに歌われると言うものです。まるでベー トーヴェンの「苦悩を通して歓喜へ」を先取りしているようなもので、そのよう なカンタータを何度も繰り返し作曲しているのです。 やはり、当時の人々も、いろいろな悩みを抱きつつ生活していたのですから、日 曜ごとに教会に行き、さめざめと泣き、悩みを慰められ、やがて元気を取り戻し て、また次の1週間に立ち向かうというサイクルが必要だったのでしょう。当時 の人々にとって、教会カンタータは毎週のリフレッシュだったのでしょう。 ▼曲は2部に分かれ、第1部の後に説教があり、その後、第2部が演奏されたの が本来の姿でした。
第1部 1.シンフォニア 2.合唱 3.アリア(S) 4.レシタティーヴォ(T)
5.アリア(T) 6.合唱 ▼最初のシンフォニアは一度聞いたら忘れられない曲です。ゆっくりと歩むよう なバスの上に、オーボエとヴァイオリンの掛け合いによる沈鬱なメロディー、不 協和音の多用、まさに「憂いは満ちぬ」を見事に表現しています。特に、大胆な 不協和音でのフェルマータが2度もあり、思わず息をのみます。 さらに次の合唱は"Ich, ich, ich"と三度繰り返される「我」が特に印象的。初 期の合唱曲の特徴ですが、詩の1行ごとに、その意味に応じて、全く違った曲想 が現れます。しかし、ミュールハウゼン時代の作品とは違い、一つ一つの曲想 が十分に展開されてから、次の曲想に移っていき、またその対照も鮮やかです。 3曲目のソプラノアリアは、オーボエが寂寥感に満ちたメロディーを奏し、まる で荒野に1人取り残されたような感情を起こさせます。歌詞も、「ため息、涙、 苦痛、悲しみ...」としつこくその種の言葉を繰り返します。 テノールのレシタティーヴォからアリアにかけて、苦悩はいよいよ高まります。 レシタティーヴォは神に見捨てられ、呼びかけても答えてもらえない嘆きを、ア リアは「涙の川」「嵐の中、マストも錨も失う船」「沈み込む深淵」「地獄のあ ぎと」と言った形象を表現します。弦楽合奏が千々に思い乱れる人の心を写し て、すごみさえ感じさせます。 第1部最後の合唱は、聖書の詩編を歌詞としています。「ああわが魂よ汝なんぞ うなだるるや/なんぞわがうちに思いみだるるや/なんじ神を待ちのぞめ/我な おわが顔の助けなるわが神を、ほめたたうべければなり。」(日本基督教団発行 讃美歌所収)これも、1行ごとに曲想の変わって行く、古いタイプの合唱曲で す。「うなだるるや」ではうなだれるような曲想、「思いみだるるや」ではやは り乱れるような曲想、「待ちのぞめ」は待ち望むような曲想。このあたり、レー ザーカラオケで、歌詞に応じた映像が次々と入れ替わって行くようなものです。 そして、最後の「助けなるわが神」のところで力強いフーガとなって第1部を閉 じるのです。 以上、バッハは水も漏らさぬ構成で、第1部を仕上げています。「バッハ青年期 カンタータの中で最も壮大な例」という表現にふさわしいものです。 ▼さて、説教も終わり、会衆の心の憂さも消えてきたことでしょう。第2部で音 楽はがらっと様子を変えます。 レシタティーヴォとそれに続く二重唱は、これが宗教音楽かいな?というもの で、どう聞いても愛の二重唱ですな。魂(ソプラノ)が「おお、イエスよ、私の なぐさめ、私の太陽、どこにいるの?」と問いかけると、何とイエス(バス)が 「ごらん、魂よ、君のそばにいるよ」と答えてくれると言う、大変ありがたい音 楽です。二重唱に至っては、「フィガロの結婚」のスザンナとアルマヴィーヴァ 伯爵の(にせの)愛の二重唱をさえ思わせるものです。モーツアルトのは"non" と"si"の使い分けがきわどく、うそとほんとが見え隠れする音楽でした。もちろ ん、バッハの方はにせの愛を歌うわけではありませんが、やはり、"ja"と"nein" を使って楽しい効果を出しています。
魂「そうだわ、ああ、そうだわ、あなたは私を拒んでる」 と言うぐあいで、まるで恋人の痴話喧嘩みたいな歌詞です。教会の固いイメージ が、がたがたとくずれていきます。 次の合唱は、ソプラノ、アルト、バスが反行による対位法楽曲を歌う間を縫っ て、テノールが讃美歌のメロディー(ノイマルク作曲「尊き御神の統べしらすま まにまつろい」→讃美歌304番)を歌って行くのですが、これはもはや奇跡とし か言いようがありません。合唱を補強するトロンボーンの効果がすばらしいのも 特筆すべきです。(トロンボーンの無い版もあります) 次にテノールの喜びに浮き立つようなアリア。今や流された涙もぶどう酒に変わ る、などと歌っています。会衆一同も家に帰って、一杯やる時刻が近づいている のでしょう。 さて、最後の合唱。3本のトランペットとティンパニの加わった、快活この上な い合唱が高らかに神をほめたたえ、アーメン、ハレルヤで全曲を閉じます。 ▼こうして聞いてみると、確かに、バッハは第1部ではミュールハウゼン以来の 古風なカンタータの線で、しかもその集大成となるような作品を書き、第2部で は過去と決別するような当世風な作曲をしているようです。この曲は、バッハに とっても相当な自信作で、後のライプチヒ時代にも何度も演奏されたものです。 私も、この文を書くまでに、いろいろな演奏を都合十数回は聞き返してみました が、何度聞いても飽きるどころか、ますますそのすばらしさに感嘆しました。 気がつくと、いずれかのアリアを口ずさんでいるような状態でした。 ▼さすがに演奏も多く、手元にあるのはリヒター、アルノンクール、コープマ ン、ヘレヴェッヘ、などです。リヒターの演奏はマティス、ヘフリガー、フィッ シャー=ディースカウという文句の付けようのない陣容で、シンフォニアの深さ など比類のないものです。ヘレヴェッヘは小規模な編成で非常にすっきりした演 奏ですが、バスのコーイは機械的な歌唱で、深みがありません。アルノンクール もきびきびした演奏で悪くはありません。コープマンは非常に美しいのですが、 今ひとつメッセージが伝わってこない感じです。 意外に良いのが、ARTSから出ている、スイス放送合唱団、アンサンブル・ヴァニ タス、指揮ディエゴ・ファソリスというメンバーによる演奏です。古楽器によ る、リズムのしっかりした演奏ですが、響きが薄くなりすぎず、合唱も暖かみが あり、うまい。ソロ歌手はほとんど名前を知らない人ばかりですが、健闘してい ます。マニフィカトとモテットBWV225という組み合わせも良く、私の愛聴盤で す。 なお、ピッチはヘレヴェッヘとARTS盤がA=415ぐらい。アルノンクールとコープ マンがA=465ぐらいです。(リヒターは現代ピッチ)私の好みでは、A=465は高す ぎます。 (2000年2月26日執筆)
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