カンタータ第54番《罪に手むかうべし》バッハの教会カンタータ(8) BWV54 (ワイマール時代3)
カンタータ第54番《罪に手むかうべし》BWV54 ▼BWV54「罪に手むかうべし」は、アルト独唱用の小規模なカンタータで、アリ ア〜レシタティーヴォ〜アリアとわずか3曲からなるものです。 小規模ながら、わさびの利いたきりっとした作品で、一度聞くと忘れがたい作品 です。何しろ、いきなり弦楽合奏の不協和音から曲が始まり、次々と新たな不協 和音が展開していくのです。ヴィヴァルディの作品8の3、すなわち「四季」の 「冬」の冒頭とちょっと似たような雰囲気もあります。 レシタティーヴォは、「罪は一見魅力的、けれど後で苦しむことになる。表面は 黄金に見えるが、実は白く塗られた墓だ。」と、こんこんと戒めます。あのと き、もう1軒なんて、行かなければ良かったなあ。あそこでやめてりゃ1万円の 負けで済んだのになあ。と言うような話ですね。いい加減にしないと身を滅ぼす よ、と言うことです。 最後のアリアは、まるで器楽曲です。アルト独唱も一つの声部を担当しての4声 フーガで、声の技巧も器楽的な正確さが要求されます。器楽と声の間のやりとり が非常にスリリングです。 ▼この曲は、リヒターの演奏は無く、手元にあるのは全て古楽器、カウンターテ ナーによるものです。 この中では、アンドレアス・ショルが歌っている二つの演奏がすばらしいと思い ます。まず、ヘレヴェッヘ盤はアクセントのはっきりした、各声部が明瞭な、か つバランスの良い演奏で、ショルの歌唱もほぼ完璧です。(「アルトのためのカ ンタータ」というアルバムの中の1曲)。一方、コープマン盤は聞き比べではヘ レヴェッヘほどはっきりした印象を残しませんが、没入していくと音楽の息づか いが伝わってくる演奏、ここでもショルの歌唱は完璧です。 レオンハルト盤は堂々とした音楽ですが、細かいことにはあまりこだわらない感 じ。ポール・エスウッドの声は悪くありませんが、技巧ではショルに及びませ ん。 最後に、鈴木盤ですが、演奏全体は悪くないが、米良美一の歌唱が足を引っ張っ ています。歌詞の意味が全然伝わってこないし、はっきり言って声が気色悪い。 音域によって声質が大きく変わるので、別の人が歌っているようです。フーガ部 における技巧も全く不十分。ショルと比べるとまるでムード歌謡です。 現代楽器による演奏としては、ヘルマン・シェルヘンのものや、クルト・トーマ スのものがあるようですが、ぜひ聞くべきものかどうか分かりません。なお、上 記4つの演奏は全てA=465の変ホ長調です。 (2000年2月27日執筆) 一応古楽器の演奏ですが、アルトのナタリー・シュトゥッツマンが歌っているも のがありました。ロイ・グッドマン指揮のハノーバー・バンドという演奏です。 これを聞くと、やはりいいなあと思います。アンドレアス・ショルの技巧がほぼ 完璧だと書きましたが、この演奏を聞くと、そんなことは当たり前のことであっ て、問題は、その上にどれほど声の魅力や表現の工夫があるかということだと思 い知らされます。このCDは他にBWV170、BWV82を収録しており、「本物のアル ト」の魅力を満喫できます。 バッハの演奏に関して、古楽器演奏の果たした役割はよく分かるのですが、その 結果、多くの優れたアルト歌手がバッハ演奏から締め出されている現状は、決し て望ましいものとは思えません。カウンターテナーも多くの人材が出て、中には 相当優れた歌手も存在しますが、女性アルトの世界はさらに広く深いものです。 バッハ時代に、教会音楽の演奏から女性が締め出されていたとしても、それは、 土俵に女性を上げないとか、大峰山に女性の登山をさせないなどの因習と大差の ないことです。現代の優れたバッハ演奏家が、ことアルト歌手に関しては、ほと んどがそのような因習にとらわれているのは大変不可思議なことです。 (2000年3月1日執筆)
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